2018-04-26

この春を機にブログを【Scripta】に更新します。だから思いを書くね。

ご覧いただきましてありがとうございます。

キサラギ@kisaragi_Virです。

こうして記事を書いている今この瞬間も、このブログがどこに向かっているのかなんて実は何も決めていません。ウェブの海を漂う小舟の如し、といったところでしょうか。

曰く特化性、ページビュー、収益性、いろいろとあるんだとは思いますし、僕自身も興味が全くないわけでもないのですけど、どうもそういうことではないんだろうな。と最近ぼんやりと考えます。

きっと見たいものを見て、聞きたいことを聞き、書きたいものを書けばいいだけなんでしょう。それだけで本来ブログは成立するはず。それ以上もそれ以下もありません。曰くブランディング、集客性、そういった要素が入ってくると難易度が上がると同時に続けて行くハードルが多少、高くなるだけで根本の部分は何も変わらないのだとは思うのです。

まるで蝋燭の火のように

更新がそれほどない僕のブログではありますが、それでも「ブログを辞めようかな。」と思うことはありません。むしろ書くネタ自体は結構あったりしますが古本屋の書架の如く積み上がっているだけだったりします。たまに書架を整理して気に入った本だけが店頭に並ぶ、わりと偏屈な商売っ気のない古書肆だとは自覚しています。
※古書肆(こしょし)古本屋さんの昔の呼び方です。この節回しでピンとくる方とは友達になれると思います。

なので変に気合を入れたりしていません。ゆるゆるとカタツムリが紫陽花の葉をよじ登る速度で文章を紡ぎ、気まぐれに一本の記事になる程度の速度でしかありませんけど、それでも僕にとってはブログワークだったりします。むしろ記事を書く前の「これは共有できる情報なのか」を考えて行動している時間の方が大事で、出来上がった記事は副産物のひとつなんだと思います。

こういうことをゆっくりとでもやっていると実際に「ブロガー」と呼ばれる方々とお会いする機会もあります。数年前から少しずつではありますが、僕もそういう機会に参加していたりしています。著名なブロガーの方のお話を聞くことはとても参考になる、とても貴重な体験でした。

もしも「ブログ」に興味があってまだ始められていない。という方がいるのならば、まず書き方や何から始めるか、の手順の前にそういった先達の話を聞いた方が楽しく始められるのではないかと思います。

儚いわずかなひかりでも

ともあれ僕がそうした流れで得たモノ、というのは「記録すること」単純に突き詰めるとたったこれだけです。もっと正確に書くとすれば「記憶を記録にする」ことです。以前はその日その日を過ぎるがまま過ごしてきただけだった事がブログと関係を持つようになって以降、それなりに膨大な量の記録を残す事ができるようになりました。

例えば「半年前の月末、どんな天気で、何を食べて、何か変わった出来事がありましたか?」と聞かれてもだいたいすぐに答えることができるだけのストックがあります。特別な才能が必要な訳ではありません。単純に継続できる力の問題だと考えます。

記録」と一言にいっても種類があります。写真であったり手記であったりデジタルメモだったりします。バッファの多い方であればメモを文章化して記事にするのでしょう。物事には勢いがあるうちに書いてしまった方がいいこともありますので。優れたブロガーさんはこのあたりのチカラが強いんでしょうね。

本末転倒かもしれませんけど、僕の場合はブログを意識するようにしてから紙媒体に大量の記録を残すようになりました。もともと写真に携わる仕事をしていましたので写真はそれなりに撮影していましたが、その撮影枚数も増えてきております。而して「手帳」という情報のストックを作る事ができたのはまさにブログの成果と呼ぶに相応しいものです。

進むべきみちを見つけたなら

蜜蜂が花の蜜を少しずつ、少しずつ巣に持ち帰るように、言の葉は紙の中に収められてやがてまたひとつの言葉に戻ります。その時により蜂蜜のような純度の高い言葉になればいいな、という思いがあります。それが手帳の中で実を結ぶのか、更に昇華してブログの一本の記事になるのか。これはどちらでも良いし、どちらもできたらさらに良いことです。

和製英語に「スクリプター」という言葉があります。映画撮影の現場などで使われる言葉です。撮影の際の記録をする係、などと訳されています。登場人物の位置や動き、台詞のひとつひとつに至るまで、正確に記録し撮影の進行を円滑に進める大事な役どころです。僕は自分を取り巻くこの環境こそ「スクリプター」なんだと思います。

僕という人生をもしも「一本の映画」とするならば、その流れを記録してより良い作品にしようとする行動そのコトがスクリプターとしての役割です。僕は僕自身の黒子としてこのブログを機能させるのが面白いのではないかと考えました。

英語表記ならばScripter。語源を遡るとラテン語のScripta、という言葉にたどり着きました。「書かれた文字」を意味する言葉です。このラテン語を使う諺にはこんなものがあります。「Verba volant,scripta manent」訳すると「言葉は飛び去るが、書かれた文字は留まる。」今の僕の心境を現す表現として正鵠を射る諺だと思います。

これまでの経験をちからに

ここで話は横に逸れますが、在学中僕は一時、シェイクスピアの作品を好んで読んでいた時期がありました。こう書くといかにも高尚な感じになりますが、日本語訳されたものを読んだだけですので作品の本質的な深さを識ったわけではありません。日本的な表現をすれば序、破、急の流れの面白さを識るきっかけとなったくらいに考えていただければいい程度の理解です。

そのシェイクスピアの四大悲劇の中でも有名なのが「ハムレット」。その中の台詞回しでなぜかずっと記憶に残る言葉があります。「言葉は宙に舞い、思いは地に留まる。心なき祈り、どうして天に届こうか。」訳者によって節回しは違うはずですが大意としてはそれほどズレはないかと。この場面での「思い」は後悔なので言葉としてはマイナスのものではあるのですが、感情はその地に留まる、と置き換えてみます。

この台詞は邪智暴虐なクローディアス王がひとり罪を韜晦するシーンで出てくるフレーズなのですが、このシーンがあってこそただの悪役ではなく一人の人間としての煩悶が描かれていて、キャラクターに深みが出ているのです。だからこそ記憶に鮮明に残っているんじゃあないかと。

さて。先に書いたラテン語の諺とクローディアス王の独白。共に言えることは「言葉は宙に舞う」のです。記録を伴わない、その場だけの言葉というものは儚く消えるだけです。対して「文字」や「思い」はその場にとどまる、と説いています。人類がどれだけ進化しても物事の本質は変わらないということです。

1600年ごろに書かれたとされているハムレットから見ても約400年。ラテン語の諺に関しては想像もつきません。それでも現代の状況に置き換えても全く同じ論理が通じると思います。その場限りの言葉だけでは人の記憶には残らない。思いや、それを込めた文字こそが世に留まる事ができるのです。

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いつかこたえにたどりつけるさ。

大きな回り道をしてきました。SNSでちょっとしたことを書くことも楽しいのですが、それは電子の「宙」に消えゆく言葉です。思いを文字にして留める「地」こそが「ブログ」になるのだと改めて意識をすることができました。

だから、このふたつの言葉の入り口になったキーワード「Scripta」を改めてブログのタイトルとすることにしてみます。

実はこのキーワードにたどり着くまでに結構時間はかかりました。良さそうな言葉はいくつかできたのですが、紙に書いて数日すると「なんか違いな。」と斜線で消す事が度々。何かを見つけた瞬間はまさに豁然大悟。悟りが開けたようにこれだっ!と思うのですが時間が経って考え続けてみると、いや、悟れていない。大悟でも小悟でもない。ただの気づきでしかなかった。

*豁然大悟(かつぜんたいご)迷いが晴れて真理を悟ること。大きな悟りを大悟、小さな悟りを小悟といいます。

そんなことを延々と続けていました。つまるところ、僕なりにブログに愛着があるからこそ延々とお金にもならないことをやっているわけで、図書館で辞書を引き倒したり昔読んだ本を探して引用してみたりする努力はしているんですよね。その行動こそがきっと僕がブログを辞めたりすることはないだろうな、と思える仄かだけど確かな熱量だったりします。

ON YOUR MARK…

長々と書いてきましたが、このあたりで幕引きです。冒頭、僕は自分のブログを海に漂う小舟だと喩えましたが、何もせずに海に浮かんでいるつもりはありません。一個だけ心の中にあるアイテムを持っています。別に僕だけじゃなくてみんなが多分持っているアイテム。それは「北を向かない羅針盤(コンパス)」何処かで聞いた記憶もある方が多いかもしれません。

映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」のキャプテン、ジャック・スパロウの持つあのコンパスの名前です。一見するとただの壊れたコンパスでしかないんですけど、ジャックのコンパスは常にそれを持つ人物が最も欲しいモノがある方角を示すコンパスなのです。ジャックが迷えば針も迷うし、逆にやるべき事に目覚めればはっきりと方角を示す道しるべです。

もちろん、実際に持っているわけではありませんよ。でもその感覚は誰の心の中にあっても良いでしょう。だから誰でも持てるアイテムと言い換えました。「自分が求める物事」に対するアンテナの強度は常に磨いておくべきだと思います。だからそれだけは無風の大海原でもいつか吹く順風のような、突然に発生するチャンスには備えているつもりです。

「ブログを書いていたら、いつの間にか紙の情報量が爆発的に増えた」これってマヌケなんだか利口なんだか。もしもスパロウ船長が聞いたらきっと答えはこうです。

「不思議なことにその二つは必ずしも矛盾しない。」

Savvy?(おわかり?)と言ってブラックパール号は大海原の彼方に消えていくのでしょう。僕が新しく名前をつけたスクリプタ号も穏やかな風を受けて宝島に向かっているといいな。そんなことを考えながら文章をしたためている2018年の春です。

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