Scripta https://kisaragi-vir.com Wed, 01 Jul 2020 06:40:25 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.25 122426822 昔、カメラを売っていた僕がオリンパスのカメラ撤退に感じたこと。 https://kisaragi-vir.com/archives/4150 https://kisaragi-vir.com/archives/4150#respond Fri, 26 Jun 2020 14:01:35 +0000 https://kisaragi-vir.com/?p=4150

Never say good bye,because saying good bye means going away,and going away means forgetting.
さよならを言ってはだめだ。なぜならさよならは去ることを意味し、去ることは忘れることを意味するから。
Peter Pan /ピーター・パン

まあ、来るべき時が来た。といったイメージなのですが。オリンパスがデジタルカメラ部門を売却することに決めたようです。フィルムカメラ時代から続く84年の歴史に幕を閉じようとしています。

よく言えば意欲的だった、とでも表現できるかどうか。マニュアルカメラの時代はOMシリーズやPENシリーズで一定の評価があったものの、オートフォーカス機の時代あたりから独自の路線を突き進んだ感があります。

当時カメラを売っていた僕としてはL-20やL-30、APS機のセンチュリオンなんかはけっこう売るのが難しかった記憶があります。防水コンパクトカメラだったμシリーズはとてもよくできていたんですけどね。



デジタルカメラの最盛期でも同様だったと思います。コンパクトのCAMEDIAは安定していた反面、フォーサーズ機だったE-1も防水一眼デジカメ、という売りがあったわけですが価格帯が相当強気だったこともあって振るわなかったわけです。

(この時期にxDピクチャーカードを作った罪は大きいと今でも思いますけど…。)

近年においてようやく「マイクロフォーサーズ」という規格に落ち着き、PENをデジタルカメラのブランドとして復活、続いてOMシリーズも復活させる、といった采配でやっと軌道にのせた感はあったのですが。

振り返れば2000年から2010年くらいまででしょうか。一番市場が盛り上がった時期に他社はどんどんシステムを完成させていったなかで、オリンパスは伸び悩んだことになります。巻き返しが難しいくらいに。

カメラ業界の生き残りレース、佳境に。

尤も、この流れが急に始まったわけでもなく、以前からデジタルカメラ事業は赤字が続いていた部門でした。好調だった医療器部門があったからこそ、赤字であっても許されていた時期が長かったのです。

近年のデジタルカメラ業界の縮小は目を覆うレベルで進んでいて、この先に再度盛り上がることはおそらくないのです。スマホについているあの小さなカメラは、世のカメラを駆逐する勢いで普及しているからです。

もちろん、全てのカメラが消えるわけではないでしょう。そもそも一眼レフ、というのはある意味でプロユースな機械ですから、道具としては残るはずです。ただ、全てのメーカーが生き残れる、これとはイコールではありません。

残り少ない一眼レフメーカーとして勝ち残るためにしのぎを削って各メーカーが切磋琢磨しているのが現状。今のところはソニーが一歩先に進んでいて、ニコンやキヤノンが苦しんでいる、みたいな感じですね。

ですから、今と同じことをやっていてもこの状況をひっくり返すのは至難の技。残念ではありますけど撤退、という判断に関しては理解できるものでありますし、今ではなくてもいずれ近い未来にその判断の時期がずれるだけだと思うのです。

個人的にはOM-Dは銘機だったよ。

僕はオリンパスユーザーとしてはOM-D EM5とOM-D EM1、EM1 MarkⅡの3台のカメラを楽しませてもらいました。マイクロフォーサーズのコンセプトはレンズをコンパクトにできること。ボディサイズを小さくできること。

高品位なレンズと軽量なミラーレスカメラは実に魅力的な機種でした。旅先で歩き回りながら撮影するならとても良い選択肢だったのです。おそらくPENのデジタルを買った人も同様の感想を持ったことでしょう。

OM-Dはとっつきにくいデザインのボディです。ボタンがたくさんあり煩雑なイメージがあるのですが、それがよかったんですよ。メカメカしくて。手振れ補正も強くて防水。結構しっかりと特徴のある機種だと思ったんですけどね。

確かにバッテリーの持ちに関しては普通の一眼レフデジカメよりかはだいぶ弱かったんですけど、ぶらりと一日散策する程度には困らなかったのでそこに対するマイナスは個人的にはしないです。撮るのは素人なので切れたら素直に諦められます。

いろいろと駆け引きはあったんだろうなあ。

マイクロフォーサーズの規格自体はオリンパスだけではなく、パナソニックが連名で参加しています。(ライセンス供与、という形でライカを含む)その後にシグマなどの交換レンズメーカーも加入することになります。

複数の企業間で規格を共有する、というのは長く続けていくための布石だと思ったのですがねえ。その後、ライカとパナソニック、シグマの3メーカーは「Lマウント」という更に新しい規格を発表して採用しました。(もともとはライカTマウントなんだけど…)

このLマウントはAPS-Cサイズとフルサイズのセンサーをサポートするためのレンズマウント。上記の3メーカーのレンズに関しては自由に付け替えができる。いわば上位互換のような位置づけになったのです。

そしてパナソニックからはLUMIX S1、ライカからはSL2という重戦車みたいなカメラをリリースしたあたりが潮目、とでも言いましょうか。先行するソニーを追随するにはこういう武装方法を選択したわけですよ。

パナソニックとしてはレンズ規格をライセンス供与してくれるライカとガッチリ組んだ方がメリットが大きかったんでしょうね。シグマはレンズ屋だから勝馬の背に乗れば安泰なのです。

その後、オリンパスも2019年にOM-D E-M1Xをリリースしています。これが実質的には最後のフラッグシップモデルになりそうです。これまでのモデルとは一線を画す大型機だったのはオリンパスなりの最後の冒険だったのでしょうか。

もう少し、続きを見たいんですよ。

近年はキヤノンのEOS-MやニコンのZ50のような小型のミラーレス一眼のリリースもあって、小型軽量だったメリットも次第に色あせてきた、という面もまあ、現実的にはそうなんでしょう。

歴史にifがあれば、ですけど。OM-Dのシリーズをこだわり抜くよりもPEN-F digitalのクラシック路線を突き進んで富士フィルムのようなポジションをとることができたら少しは違ったのかなあ…。と夢想します。

正直、OM-D EM1 MarkⅢが出るよりもPEN-F digital MarkⅡが出た方がインパクトが大きかったんじゃないかと考えてしまうんですよね。

ただ、それが勝負手になって最終局面を逆転できたのか。というとそういう予想は多分できなくて、それでも同じ結末に帰結するはずです。モノが良くて売れても赤字体質から脱却できなかったわけですから。

でもねえ。本当にいいところまで辿りついていたと思うんですよねえ。ZUIKOレンズは優秀なのが多いですし。最初のPEN E-P1なんかみたときは、「うわ。これは面白いの作ってきたなあ。」とホントに感心しましたし。

ミラーレスカメラのブームがあった時期などはこのメーカー無くして語れませんからね。こんなところで終わってもらっては困るのです。

一応、今後わかっていることを書くと、ブランド名は残した上で映像部門を新会社として作った上で投資ファンドに売却するそうです。ユーザーサポートも引き続き行うようなので当面は修理などの心配もなさそう。

あとは良き譲渡先が決まることを祈るばかりです。最近はこういった統廃合の話が出ると中国系の企業が出張ってくるものですから、願わくば国内の企業で志あるところが引き継いでくれたらいうことがないんだけどなあ。

ZUIKOは「瑞光」と書きます。「吉兆を示すおめでたい光」の意味。名前の通りに。そのいく先に栄えある光があらんことを。

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iPad Proが溶け込む日常。無駄と贅沢の境界。 https://kisaragi-vir.com/archives/3959 https://kisaragi-vir.com/archives/3959#respond Mon, 08 Jun 2020 06:41:31 +0000 https://kisaragi-vir.com/?p=3959

Perfection is achieved, not when there is nothing more to add, but when there is nothing left to take away.
Saint-Exupery
追加するものがなくなったときでなく、取り除くものがなくなったとき、それが完璧になるということである。
サン・テグジュペリ

Apple社のiPadが発売されて今年で10年。早いかどうかはわからないが確実に定番の商品となったようには思える。「タブレット」という選択肢はこれから更にスタンダードになっていくのだろう。

何せパソコンを持たない世代が増えているという。スマホで十分なのだ。それでも大きい画面で動画を見たり、文章を作成したり。そういったところに使っていたパソコンの場所がタブレットに置き換わりつつある。

今年はMagic Keyboardの新型も発売になった。もはやこれもパソコンの形のひとつだと思うのだが、iPadと合わせて1kgぐらいの重さになるのなら素直にMacを買った方がいいんじゃないかと思うのだが、この考え方が古いのだろうな。

今や学校教育の現場でさえタブレットの時代である。これからの未来を支えていく世代がその環境で育つのであれば、長い目で見たときに進化成長するのはタブレットなのかもしれない。まあ、僕が生きている間くらいはPCの製造が続けばいいな、くらいには思う。



そういう僕なのでMacというデバイスが作業の中心にある。とはいえそれほど重い作業をするわけでもないのだが、細々したアプリなどを一括で管理できるのはやはりノートブックで、いうなれは単純に「慣れ」の問題なのだ。

まだ「脱Mac」とはならない理由。

革新的に環境を変えるならばiPadでの代替アプリなどをどんどん入れていけばいいのだろうが、なかなかに腰が重いものである。それともうひとつはどこまで行っても僕の中では未だ完全移行はできないイメージがある。

理由はいくつか思いつくが、ひとつは大量に抱えているCDの山だったりする。配信サービスの全盛期である今、新たにCDを買う頻度が流石に減ってきてはいるものの、手持ちの在庫量はなんともならない。

単純にiTunesに送ればいいだけなのだが、それでも性分からかカバージャケットやら歌詞カードなどは捨てられないので増えることはあっても減ることが少ないのである。

いっそCDを保存しているコンテナボックスごとある日盗賊に盗まれたり、時と共に風化して全部砂にでもなってくれればさっぱりとするもかもしれないが今のところはそういった気配がない。

そんな状況だからiTunes自体もそれなりにデータサイズが重い。iCloudでのバックアップをAppleは最近、けっこう推奨しているのだが、データを戻す時に途方もない時間がかかりそうなので気がひけている。これが二番目。

あとは万が一の時だろうか。Macは不具合がでた場合でも単体でリストアをかけられる。自己修復ができるが、iPadは不具合が出た時にはMacと接続しないとリストアできない。単体では復旧ができないことを考えてしまう。

まあ、ネガティブなことを書いてしまったがこんな理由で今後しばらくはそこそこの性能のMacとiPadの両方をそれなりに使っていると思う。

僕にとってのiPadは「デジタルメモ」

こんな僕であるので流行りに乗るのはだいたい一足遅い。それでもまだ、新しいモノついていこうとする気力ぐらいは残っているので去年に4年使ったiPad AirをiPad Proに乗り換えた。カメラが目立たない方がいいので新型を待たずに買ったのだが。

僕にとっては初めてのApple Pencil搭載のモデルである。それなりに時間を使っていると使い分けというのは自然にできてくるのは面白いところで、なんだかんだといいながら文明もの利器だと感じるものだ。

「アイディア出し」にはいくつかの方法がある。文章を書くならポイントになるキーワードを書き出す。レイアウトを考えるなら図面を引く。前者はMacでもできるのだが、後者はiPadで走り書きをした方が早い。

他にも本を読んでいる時などがそうなのであるが、わざわざキーボードに向かって大事な部分を打ち出すのはまず、やらない。これはiPadに書き出す方がスマートである。(Kindleもたまには読むのだけどいやはり紙の方が読みやすく感じるんだよなあ。)

図面を書いて数字を打ち込む。などといった場合にiPadは滅法強い。収納スペースを作る時に箱やらファイルやら買い込むのだが、そういった時に寸法の「あたり」をつけるにはもってこいなのである。

まあ、正直チラシの裏にでも書いておけ、ということがだいたいなのだ。ただ、チラシの裏を侮ってはならない。そこには真実への近道が書き記されていることが多い。そのうえ、気がついた時にはもうないのだ。流石にiPadはうっかり捨てないのでこの点でも優秀である。

メモにササっと書いてそのまま保存。必要最低限のアプリだけはiCloud同期をしているのであとはMacでもiPhoneでも確認できるようにしているので、これだけでも相当に快適なツールになる。

メインは手帳書きの僕であるが「計画」以上「予定」未満、の中途半端な考えごとを雑多に放り込んであるのがiPadのポジションで、結構これでも紙とデジタルは使い分けができているように思える。

USB-C搭載のiPad Proがストレスフリー。

これだけであれば通常のiPadでも良いのだが、Proを選んでいるのはUSB-C端子搭載のモデルであることが大きい。これをもってようやくにしてまともな互換性を持ったデバイスになったと言えると思う。

iPhoneに採用されているライトニング端子は開発された当時は「小型」かつ「リバーシブル」に抜き差しできることがメリット、とされていたモノであったが、後発のUSB-C端子がそれを追い越しているのが現状だ。

単純にライトニングケーブルがApple独自の規格であり、その中でもiPhoneをはじめとしたiOS商品でしか互換が取れないコネクタなので、使い勝手はすこぶる悪い。

そのうえサードパーティ製の排除をするために認証チップなんてものまで搭載しているので、認可を受けたメーカーのものしか正常作動しない前提で、そんな余計のものまで積んだら高額になったという曰く付きのシロモノである。

自分の持っているMacbookにiPhoneを繋いでiTunesにバックアップを取る時でさえ、ケーブル変換アダプタを使わないとできないと気がついた時は合理性を求めた結果がこの有様かと正気を疑ったものだ。

例えば、新幹線で駅まで着いて乗り換えようとしたら一旦、鈍行で違う駅まで移動しないと次の列車に乗れない、などと言われたらこの交通網はおかしいだろう、と思う。その手のタチの悪さ。楽しいのは鉄道オタクだけである。

これがUSB-Cによってようやく「まとも」な互換性を獲得したと言える。Macbookに使っていた外付けHDDの情報を同じケーブルで直接iPadに繋いでデータを確認できる。普通なんだがこれだけでかなり快適になる。(PadOS搭載以降の進化であるが。)

カメラとの親和性が良い。

デジタル一眼レフとの親和性も良い。対応する機種は選ぶものの、ケーブル一本で直接繋いで画像の確認や転送ができる。もう、あの中途半端な互換アダプタやらSDカードリーダーなどが必要なくなるのだ。

ちなみに僕が現在のところ使っているカメラはNikonのZ6。CanonやSONYあたりも大丈夫だろう。実際に使ってないから細かいところまではなんとも言えないが。画像ソフトは「Affinity Photo」を使っている。お手軽なフォトショップとして有能。

それにiPad自身がカメラのモバイルバッテリー的に使えるのも面白い。万が一の充電切れにも使えるのだ。あまり早くはないが「ある」と「ない」では安心感が使う、というか。便利な機能である。

写真の画像を確認するときも実に快適だし、iOS向けの加工アプリなどもだいぶ充実しているのでその辺りも高評価である。Proに関して言えることはベゼルが狭いのできっちり写真が広く写るような満足感はある。

ちょっとした小旅行なら、もはやPCは必要ないだろう。カメラとiPadだけ入れておけば最低限の写真環境が整う。荷物が一つ軽くなるのは歩き回る前提だと、とても大きなメリットだ。

これからのiPadに更なる期待を。

別に細かく書くつもりもないが、ちょっとしたドローイングだったり動画配信系のサービスを使うこともあるのでその辺りも快適で実に申し分ないデバイスだと思っている。

だから、何か不満があるのかというとそれほど多くはないのだが、安いモデルでもUSB-C対応になって欲しい。いっそできればiPhoneもUSB-Cになって欲しいくらいなのであるが、それは多分むずかしいのだろう。

あとはiSightカメラがどんどん大きくなっていくのがちょっと面白くない。言うほどiPadで広角レンズの写真に需要があるのかわからないけど単レンズで良いような気がしてならないのだが。

無論、PCとしての性能もハイスペックなのがiPad Proなので、動画加工や3Dゲームなどを楽しむことで真価を発揮するモノなのだ。だから僕の使い方っていうのはある意味では無駄なのである。

10万円あったら一生かかっても使い切れない量のメモ帳が買えるよ。Proじゃなきゃダメ、っていう作業もない。買ってから自分の作業環境の中に役割を振っているだけなのだ。

でもしょうがないじゃない。それでも手に取らせてしまう魔力がApppleにはあるのだから。

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WANDSの新曲「真っ赤なLip」新しくも懐かしい気持ちになれた話。 https://kisaragi-vir.com/archives/3915 https://kisaragi-vir.com/archives/3915#respond Mon, 10 Feb 2020 07:19:26 +0000 https://kisaragi-vir.com/?p=3915

Music acts like a magic key, to which the most tightly closed heart opens.
音楽は最も固く閉ざされた心を開けるための魔法の鍵のような役割を果たす。
Maria Augusta von Trapp

久しぶりにヘビロテしてしまう音楽に出会いました。ヒットチャートや音楽番組などとは縁が少ない僕ではあるのですが、Twitterというのはそのあたりが疎い人間にも話題の音源というのは拡散されてくるもので、そのあたりは実にありがたいものです。



初めてそのアーティストの音楽を聞いたのはだいぶ昔の話。当時の僕は横浜は戸塚にあった職場の研修施設だった寮でした。慣れない環境でこれから始まる仕事がどんなものか。期待と不安が半分半分の落ち着かない気持ちで日々を過ごすなか、MDプレーヤーに入れていた音楽を繰り返し聴いていた時代が懐かしいです。

そう。まだMDプレーヤーの時代なんだよね。CDを買ってきたら一旦CDプレーヤーに入れて、オプティカルケーブルでポータブルのMDプレーヤーと接続して録音するんです。今みたいに曲名取得なんて一発でできないから、小さいディスプレイを見ながら上下左右のキーでポチポチ打っていくしかなかった、iPodなんて出るもう少し前の時代のおはなし。

右も左もわからないまま一日が終わって、退屈な寮で夜を過ごすとき。エヴァの碇君のように暗いベッドで繰り返し同じ音楽をリピート再生していた時期。落ち着く、というよりかは「明日は明日で頑張るか。」と前向きに思える応援歌みたいなものでした。

令和になってWANDSが再始動。というニュースを聞いたときに、平成に生み出されたひとつの大きなバンドが復活することを素直に嬉しく思いました。当時からB-ingに参入していたアーティストには良い音楽を作る方々がいたものです。B’zにT-BOLAN、大黒摩季、倉木麻衣。今はレーベルを離れてしまっているアーティストも多いですけど、その遺伝子は今でも脈々と受け継がれています。

当時の初代ヴォーカルだった上杉昇さんの歌声は本当に良かった。声量、高音の伸び、安定度。おそらくこの時代でも屈指の歌い手だったのではないでしょうか。それに柴崎さんのギター、大島さんのキーボード。今でも一線で活躍する素晴らしい演奏家です。

音楽性の違いにより、ということもあったようでメンバーが袂を分ける時代があったこともありました。それでもこの時代に再始動できたというのは今でも音楽に携わってきた時間の重みがそれを可能にさせたのだろうと思います。

今回、再始動にあたっては新しいヴォーカルを迎えての体制となりました。上原大史さんという方を僕は知らなかったですのですが、ヴィジュアル系のバンドで実績のあるようです。(一応バンド名なども出ていて、ほぼ確定しているようですが公式ではないですね。)

ヴォーカルが変わるとやはりバンドの色合いも変わるよなあ。などとも考えていたのですが、実際に聴いてみるとそれは杞憂でしかないことがすぐにわかります。実に良い歌い手を迎えたものです。

「真っ赤なLip」はWANDSとしては約20年ぶりに書き下ろされた新曲。これまでの音源を歌い続けてきた流れとは変わり、上原さんが作詞を担当したこの曲、それでも聴いた瞬間に「ああ、WANDSだ…。」って思えるからすごいね。

ガツンとくるギターリフとメロディアスなキーボード。バンドが不人気な時代なんて言われるけど、そんなの関係ない世界観。ヴォーカルの音域も申し分ない。スリーピースバンドでも圧倒的なボリュームを感じることができるのがこのスタイルを貫いている彼らの本来の領分。戦い方をわかっているからこそ出せる音楽なんだと思います。

タイアップは「名探偵コナン」のOPなんだけど、タイトル通りにコスメ系のブランドCMで使われていても全く違和感がないぐらいにおしゃれ。一過性のCMに使われるBGMよりかはワンクールの人気アニメに使われた方が拡散性が高いのかな。何よりも若年層の世代にWANDSの音楽を聞いてもらえる機会があると考えるとファン層の拡大には貢献しそうです。

こうして書いていて、過去を振り返ると思い出したことがあります。横浜での生活がただ孤独な夜を過ごしていただけではなかったんです。

研修で知り合った同期の中でおしゃれな友人ができて、ああだこうだ言われながらブティックで服を選んでもらったこと。夜のラウンジでワインを奢ってもらいながら、スカイラインGT-Rの燃費がいかに悪いか力説する走り屋の仲間の話をウトウトしながら聞いていたこと。

ちなみに僕の部屋はプレステ部屋でした。同期の中で唯一、ゲームハードを買い込んで持ち込んでいたのが僕だったので自ずとそうなったんだけど。最初はRPGだけ買っていたのですが、みんなで遊べるように「鉄拳」を買っていったらこれがウケたんだよなあ。狭い部屋にぎゅうぎゅう詰めになりながら休日の夜はワイワイしていたものでした。

僕は持ち主なのにそれほど上手くもなくて、だいたいボコボコにされていたけど悪くなかったんです。なんだかんだでお菓子やらビールはもらえたし、そこから始まったコミュニティもありました。まあ、世の中にはお人好しとお節介なのが結構いて、不器用な僕でも仲間の一員になれていたんだと今になれば思えるところもあります。

そもそも全国から集まった入社研修だけに、短い時間の付き合いでした。それっきり会う機会もないんですけど、とても濃密な時間を共有した仲間であることは間違いなかったかと思いますね。なんかもっとちゃんとできたら良かった。それはいつだって付き纏う「たら、れば」なんだろうけど。

生きていれば100万回でも200万回でも訪れる人生の「if」はいつだって不正解なんだ。 後悔先に立たず、っていうけどあれは本当だね。でも人間は完璧じゃあないから、そのジレンマまで含めて全部で「生きている」ってことなんだと思います。

WANDS 真っ赤なLipのアルバムジャケット

こんなことを書きましたが。長い年月、音楽を作り続けてくれるアーティストという方々はこういった古い記憶を呼び起こしてくれる、という点で本当に貴重ですね。ただ、聞き手側もきちんと聴かないとダメです。一過性の音楽をさらりと聴くだけじゃあ記憶には残らない。良いな、っと思った音楽は何度でも繰り返し味わうことで初めて人生の栞になるんじゃあないかと思います。

堅ッ苦しい研修の内容なんて、今となればほとんど何も覚えてはいないんです。でも、EASTBOYとロメロスペシャルとフルボディの赤ワイン。ぜんぜん真面目じゃあないことばかりが記憶に残っていて、それが一番楽しかったんだよなあ。

今回はこんな昔話みたいな記事ですが、読んでいただいている方にとって記憶に残る曲はなんですか?一度振り返ってみるときっと面白い発見があると思います。できれば古い方の記憶を掘り起こしてみることをおすすめしますよ。

おっと。表題にしていたWANDSの「真っ赤なLip」公式YOUTUBEでの配信がありますから、興味があった方はぜひ一度、ご視聴してみてはいかがでしょうか。

最後に。「服はね、着られちゃダメなんだよ。着るものなんだから。」って言ってた鴻江君。研修の最後、お別れの時に着ていたMELROSEの真っ赤なロングコート。それは多分、「着られちゃっている」と思ったぜ。着られちゃあダメだよ、君。

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https://kisaragi-vir.com/archives/3915/feed 0 3915
Nikon Z6、というミラーレスカメラを選択するまでの長い理由。 https://kisaragi-vir.com/archives/3881 https://kisaragi-vir.com/archives/3881#respond Mon, 18 Nov 2019 12:58:28 +0000 https://kisaragi-vir.com/?p=3881

ご覧いただきましてありがとうございます。
キサラギ@kisaragi_Virです。

Roses are red, Violets are blue, sugar is sweet, And so are you.
ばらは赤く、すみれは青い、砂糖は甘くて、あなたは素敵だ。 -Mother Goose

いきなり極論ではあるが、今のご時世カメラというモノは何を選んでもそれなりに綺麗に撮れるものだ。そうそう失敗などしない。フィルムカメラだろうがミラーレスだろうがフルサイズだろうが絵作りという作業に基本、変わりはない。使うニーズに合わせて選べば良いと思う。

それでもやはり差別化、という考え方はあって近年はデジタルよりもフィルムのカメラが脚光を浴びることが増えてきた。デジタルよりも柔らかい表現のできる、空気感がある写真作りはやはり良いものだと改めて再認識されているのは好ましい傾向なのではないだろうか。



「伝統」と「標準」は似て非なるもの。

機械式の腕時計や万年筆のように、どれだけそのジャンルが進化しても、オーソドックスなモノは「そこ」でそもそも完成しているのである。

かくいう僕も去年にライカを購入した。LEICA M6である。昔からの高嶺の花でなかなか手にはできなかったカメラであるが、近年のフィルムカメラ熱が高いことと、デジタル機とは異なりコンディションの良いボディが確実に少なくなってきている今、手にするべき時期にきていると判断したこともあり、半ば清水の舞台から落ちる気持ちであったが結果としては実に良い買い物となった。

長く愛用される機械にはそれなりの理由がある。LEICA M6を実際に持ってみればそれを感じることができるだろう。それは写真としての写りだけではない。持ち運ぶ際に体に負担をかけない程よい重さ、構えた時に掌の中で行う操作が実に簡潔にして快適であること。機械として堅牢で長く使えること。日常の傍らに置いておきたい、そんな一台である。

先に「オーソドックス」という書き方をした。日本語に直せば「正統な」「伝統的」と訳すのが正しいのだろう。ライカを含めてオールドカメラは「オーソドックス」なカメラを使っている、という感覚でいる方が自然なのだと思うのだ。

類する表現としては「スタンダード」がある。こちらは「標準的」「一般的」ということになる。現在、世に出回っている多くのデジタルカメラはこの「スタンダード」なカメラ、という位置付けで良いと個人的には分類している。

リコーのGRやフジのX100などのシリーズが人気を博すのは、この二つの感覚を絶妙に取り入れた機種だからだと思う。10万円超のハイエンドコンパクト、というモノはそういった視線でみるべき機械。その延長にあるのがデジタルライカ。いつかは手にしたいと思う夢である。

対象をカメラからコーヒーに変えれば更にわかりやすいだろうか。手動のミルで豆を挽くのはオーソドックス、電動ミルで挽くのがスタンダード。前者には自分好みで挽き方を調整できる点に、後者には安定した品質で手軽に楽しめる点にメリットがある。

レンズは豆だろう。世界中にある産地の様々なコーヒー豆はそれぞれに個性的な味を持つ。その日の気分で豆を選んで淹れることができる感覚が近いと思う。高い豆には高いだけの理由と、それに見合った味がある。

どちらかが優れているのではない。自分のライフスタイルに合わせたモノを選ぶのが正しいのだ。強いて言えば両方を知ることができればシチュエーションに応じて使い分けることができる。忙しい朝には電動ミルを使って豆を挽く。落ち着いた夜には手動で挽く。選択の幅は趣味を広げる、ということだ。

これからはカメラメーカーの逆襲が始まる、という期待。

さて。そういう前置きをさせていただいたが、表題の通り先日、Nikonのミラーレス一眼であるZ6を購入した。先に書いたところで言うところのスタンダード側のカメラ、ということになる。細かい数字を並べるのは好きなタチではないうえ、レビュー的なモノも出尽くしている機種だけに僕の思うところだけを書いていこうというのが今回の趣旨である。

2018年あたりから、カメラ業界はミラーレス一眼元年、とも言える勢いで種類が増えて活況であるような空気を醸し出している。この書き方をすれば穿った視点から見ているような文章なのだが、実際にそうだと思っている。

一眼レフ機の出荷台数は既に頭打ちである。数少ないパイをカメラメーカー同士で取り合っているのが現状だ。そこを遡ること数年前、2013年にSONYが発売したα7が状況を変えたことになる。センサーサイズが小さいことで小型軽量なボディ、というのがこれまで常識だったミラーレス一眼に、高級機クラスのフルサイズセンサーを搭載したことで業界に変動が起きた。

以来、改良を続けたα7シリーズはミドルユーザーからハイアマクラスまでの人気を一気に獲得することになる。プロフェッショナル向けだけはNikonやCanonに譲る部分があるにせよ、一番多く市場に出回る部分をSONYが寡占した、と言っても過言ではない状況が今日なのだ。

僕も元々はカメラ店で働いていた経緯のある人間なので、人に聞かれたのならばSONYのαを買っておけばとりあえず外れを引いた感は少ないんじゃない、なんて答えるだろう。後は連写したいのか高感度がいいのかで若干選ぶクラスが変わるくらいだ。

CanonのEOS RやNikon Zは一人勝ちしてきたSONYの牙城を崩すべく投入された機種、と考えていい。先行しているSONYをどれだけ追い上げることができるかが今後の勝負どころになるのだが、どちらも豊富なレンズ資産を持つメーカーだけに、数年後を見据えるといい勝負になるのではないかと期待している。

先日、SIGMAからコンパクトサイズのフルサイズミラーレスカメラとして「fp」が発売された。完全なダークホースであったが、好調な販売台数での滑り出しとなったようだ。確実にユーザーの選択肢は増えてきている。まだまだこの業界は新しいモノを生み出し続ける活力があるのだ。

再構築されたNikonのミラーレスカメラ。

自分で買っておいてなんだが、Z6は人を選ぶ機種であると思う。バッテリーライフはそれほどゆとりはないし、今時メモリーカードがXQDのシングルスロット、専用レンズは開発スピードが相当に遅いからラインナップ拡充までには相当時間がかかる。それでいてα7よりはだいぶ強気の価格設定である。

それで良い。と書くと変に感じるかもしれないが実際そうだと思う。かつてNikonは「Nikon1」のブランドで一度、ミラーレス機に挑戦している。普及機を作った、という感覚なのだろうが見事に外した。断言しよう。あれはNikonファンからは人気を得られず、他のミラーレスメーカーからの乗り換え需要もなかった。

高価格帯でも良い。Nikonらしい堅牢さ、センサー画質に手を抜かない、シリーズに将来性を持たせる。この辺りのことが弱かったのだ。一眼レフ機の販売台数が減っている今だからこそ、今回のZシリーズには本気で開発されている意思を感じる。背水の陣のなか、死中に活を求めた結果に開発されているのがこのZ6および高画質モデルのZ7である。

同時に発表されているZマウントのレンズもこれからを見据えてのもの。アダプター経由で既存のレンズを使用することも勿論可能であるが、これからはZシリーズがメインのラインナップになっていくものと思われる。既存のユーザーならば入れ替えを、新規のユーザーならばこれから発売される商品群を見据えて購入する必要がある。

故に仕事で写真を撮るのならば、色々と考えて購入計画を立てる必要のある機種なのだ。幸にして僕にはそういったことがない。日常のスナップを撮るのにポチポチ使いたいのがメインである。それなら安いミラーレス機でも良い気もしなくもないのだが、電子ビューファインダーの視野が大きい機種の方が撮影していて楽なのだからそういう選択なのだ。

数字ではなく、己が直感を信じる。

そう。この電子ビューファインダーがZ6における、他のデメリット全てをトレードオフにする最大のメリットだと僕は考えている。SONYでもCanonでもなく、Nikonを選ばせたのはこのファインダーの画質である。

もちろん、ファインダー画質みたいなモノは個人ごとの好みがあるので、どれが正しい。なんていうベクトルで語るものじゃなく、どれが合うか、という考え方でいいと思っているのだが、実に自然な発色をするZ6は見ていて疲れない。僕にはαやEOSは鮮やかすぎるように感じるのだ。

フィルムカメラのファインダーを覗くような自然な質感の仕上がり、というのは単純なことのように思えてなかなか難しい。家電メーカーの液晶はテレビと同じようにメリハリの強い画質を出してくる傾向がある。テレビの場合は映っているコンテンツが完成形だけど、写真の場合はソースである。ことデジタルに関しては若干の補正を加えて完成形になる場合が多い。

なので素材としてはできるだけナチュラルであることが好ましい。だからファインダーから見える絵、というものもできるだけ「そのまま」見えることが重要で、そのあたりをZ6はかなり忠実に再現できている点が僕の気に入った要因なのだ。

自分で書いていて思うことは、結局のところ最後は感覚。カタログスペックの数字ではそれほど心が動かないものだ。実際に現物を触ってみて、ファインダーを覗いてみてレリーズしてみる。「ああ、これだな。」と直感で理解できる感覚、とでも言えばいいか。そんな感じだ。

昔の話をしよう。新しいPCを購入しようと悩んでいた時期がある。大型家電店でいろいろなメーカーのPCを触って検討していたのだが、いまひとつ決め手に欠ける機種が多かった。そんな時に触ったのがApple社のPowerbook G4。デザインの美しさは勿論だが、12インチのコンパクトサイズなボディにフルサイズのキーボード、それが圧倒的に打ちやすかった。打算はするのだが最終的にはこの手の直感でモノを買うことが多い。

以来、G4と書いたので時期を察する方も多いとは思うがその後、AppleはiPodiPhoneと時代を象徴するデバイスを発表し続け日本でも大きなシェアを持つようになる。長い付き合いになっているが、僕のなかではきっかけはG4を触ったこと、だ。何がきっかけで物事が動くかはその時にはわからないかもしれないが、いわゆる「ピタゴラスイッチ」は現実にもきっとあるのだろうと思う。

例えばある天気の良い昼下がりの午後。街でとても美しいデザインの傘を見つけたとしよう。触った瞬間に「いつか使いたい。」と思ったのならばその場で買うべきなのだ。たとえ今は晴れていたとしても。もしも帰り道に急な通り雨が降ってきて困っている人を見かけたのなら、近くの駅まで一緒に歩けばいい。それがきっかけでひとつのスイッチが入るのかもしれない。直感は次に何かに繋がることがあるだろう。

少し回り道をしてしまった。ともあれ。先日アップデートされたことにより、人間の目にピントを合わせる「瞳AF」が搭載された。SONYほど高速ではないにしても、ポートレート撮影には大きな威力を発揮する機能だけに「ある」こと自体が非常に重要だと思う。

余談ながら、他のメーカーなら富士フィルムのファインダーも見やすい。いわゆる「撮って出し」をするならば実に使いやすいメーカーとされているのにも大きく納得できるものだ。

今年に入ってから、高額のキャッシュバックキャンペーンが続いていたことと、購入したカメラ店でも合わせて高額下取りがあったので金額的にもそれほど大きな負担にならなかった点もあるのだが、24-70mmのキットレンズと合わせても思っていたより安く収まった。

自分のなかの適材適所と分相応を知る。

あとは気持ちの問題が大きいだろうか。SONYやCanonに比べて、今のNikonはカメラだけだと正直、かなり分が悪い。ここで状況をひっくり返さないとこれまでのようなモノ作りをいつまで続けられるか疑問符がつくところ。Zはさながらドイツ陸軍が二次大戦後半に投入したティーガー戦車のようなカメラである。(別にNikonが敗戦間近と言ってるわけではないので気を悪くしないで欲しい。)

余計なことだが、個人的にはティーガー戦車は大いにリスペクトしている。燃費は悪くメンテナンスも複雑で整備兵泣かせの駄々っ子であるが、鉄壁の防御を誇り、大破した台数が少ないことで知られる。前線に赴く前に頓挫する車両が多かったのはご愛敬である。

判官贔屓ではあるが、このZシリーズで新たな顧客層を発掘して欲しいと考えている。どこかひとつのメーカーが勝ち抜ける状況になると市場は膠着する。お互い切磋琢磨することでモノは大きく進化していくものだ。

フィルムならLeica M6、デジタルならNikon Z6。実にゴロの良い取り合わせである。その日の気分でMを持ち出すがZを持ち出すか、みたいな遊び心で選んだ酔狂な部分もあるのだが、今のところは満足しているのでこれで良い。

Zマウントにアダプタを噛ませてMマウント変換にして、ズミクロンのレンズをつけるのも楽しみである。以前にOLYMPUSのOM-D EMⅡを所持していた時期もあるのだが、デジタル換算で倍率がかかるため使おうとまでは思わなかったが、フルサイズとなるとこの辺りが現実的になり、能動的に試してみたくなる。

あてもなく知らない街を歩く。思いがけず絵になる瞬間に出会う。そんな時に一瞬、立ち止まって一枚シャッターを切る。そんな時に自然な所作で撮影できるのがM6。撮りにいく目的が決まっている。じっくりとファインダーを構えて、細かい調整などを加えながら狙い澄ました一枚を撮る。そんな使い方をするのがZ6、というような使い分けを僕のなかではイメージしている。
モノを買うのには理由がある。ライフスタイルのどこに「それ」を嵌め込んでいくかを考える。最終的なゴールにたどり着くまでに一回でいけるのか、何ステップか経由してそこにたどり着くのか、という現実的なルートが必要になる場合もある。

冒頭にも若干触れたが、やがてはデジタルライカまでたどり着きたい、という淡い思いはある。スタンダードとオーソドックスを兼ね備えた、時代に流されないカメラのなかでのひとつの到達点である。

山登りでいきなり富士山を踏破しようとは普通は思わないだろう。まずは実力にあった山から順番にクリアしていくものだ。そういった意味で、今、僕がいま登る山に見合っているのはNikon Z6なのだ。もう少し体力が増えて、もっと大きな山に挑める日が来るまで。良き相棒としてカメラライフを支えてくれたらいいな、と期待を込めて今回の話はここまでにしようと思う。

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初夏の北千住。あてもなくフォトウォークをする休日にライカを。 https://kisaragi-vir.com/archives/3854 https://kisaragi-vir.com/archives/3854#respond Wed, 31 Jul 2019 07:26:13 +0000 https://kisaragi-vir.com/?p=3854

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I need plenty of rest in case tomorrow is a great day..
あすがすばらしい日だといけないから、うんと休息するのさ…  Snoopy

「北千住?」
「そう。北千住。千葉と東京の境目ね。」

柏にある居酒屋での会話である。人手が足りてない拠点への支援、という名目で僕は割とあちこちへと赴くことが最近多い。当然、忙しい場所を補強するために東北から関東まで出てくるので、それなりに客将扱いはして貰えるので立場は悪くはない。

僕の差し向かいには招き猫のような風体の男が、前足で顔を撫でるように額を掻きながら日本酒を飲み、福を招くような笑顔で美味そうに栄螺の刺身を口にしている。招き猫が言うにはそこはとても善い場所らしい。

支援先というのはなまじ余計なシガラミがないだけ働きやすい。雑事などは振られないので大事なところだけを集中的にやればよいのだ。おかげで頗る業績を上げることができたので慰労会の一つもやって頂けたりしていたのだ。

僕を含めて中核になっているおじさん達数人が仕事終わりにふらりと飲みに集まったわけである。なんでも、飲み歩きを趣味にしている同僚が贔屓にしている店らしく、入店の挨拶もほどほどに予約されていた席に着く。

柏は千葉の中では内陸。新鮮な海の幸、といえば銚子だったり館山だったりするのだろう。それでも物流が発展した現在ではここでも新鮮な魚介はそれなりに入ってくるらしく、大ぶりの牡蠣やら栄螺なども事前に伝えておけば食べられるそうだ。

牡蠣、というのは好き嫌いの出やすい食材だと思う。海のミルクなどともよく呼ばれている。濃厚な磯の風味を味わうものなのだろう。というのも僕はそれほど好んで食べる食材ではない。

「出された食事を残す」ことができない性分なので、黙っていて出てくればそれなりに食してシレッとした顔をしているのだが、どうにも美味いとは思えない。生でも焼いても鍋で煮てあっても一筋縄ではいかない食べ物である。味ではない。多分香りが受けつけないのだと思っている。

黙っていて大量に牡蠣が出てくると始末におえないので、予め牡蠣とホヤと栄螺は駄目だと伝えておいた。中でも栄螺は難易度が高い。身はまだしも肝は体が拒絶する。あれは旨味であるとか苦味であるものが舌から脳に伝わる前に危険であることを全身が察知するのだ。

「ここのは別モノだよ。一回騙されたと思って食べてみれば?」

ありがたいお誘いである。何も悪意などないし実際そうなのかもしれない。だが牡蠣はどこまでいっても牡蠣であるし海老は海老、蜻蛉は蜻蛉である。牡蠣が海老になったりなどはしないし、突然飛んだりしても困るので丁重にお断りする。

むしろ、この場合は美味しい反応を期待されるのが怖いのである。旬の良いモノを用意して頂いて食すからにはそれなりの笑顔と表現が必要だろう。それに応える自信がないのである。

それに、そこまで立派に育った牡蠣ならばやはり味のわかる人間が食べるべきだと思うのだ。嫌いな人がジェットコースターに乗る意味はなく、好きな人がその速度と落差を堪能すればいい。そういうレベルの話だと思う。

代わりに鯵のなめろうやら〆鯖などを食べたいと希望していたのでそちらを楽しみにしていた。「光り物」は薬味や下処理で味が大きく変わる食材だ。魚特有の臭みを取り除く日本の職人の技で、僕にとっても食べやすく米に合わせても酒に合わせても最高のアテになる。

魚介の新鮮さを謳うお店だけあって日本酒の品揃えもなかなかに豊かで、良い酒と美味い魚に舌鼓を打つ。宮城の「日高見」、福島の「写楽」、高知の「ジビエ」など有名どころから変わり種まで強かに飲み良く語った。

普段なら会話の渦に巻き込まれないように末席に陣取ってちびりちびりと酒を嗜むのだが、今回ばかりは主賓なので輪の中心に据えられる。若干、勝手が違うも歓迎されているだけにそれなりに立ち振る舞っていた。

そんな折にでてきた地名が北千住だ。正直、だいぶ飲んだ後に出てきたのでよく覚えてはいないが、前後によくある仕事の愚痴やらお国話などが渾然一体と混じり合ったなかでポン、と置かれた言葉である。

飲み歩くのに良い街だったか、住みやすい街だったか。啄木鳥が木に穴を開けるような感覚で鯵のなめろうを箸の先にちょいと付け、何杯目かの日高見を口に含む。生姜と味噌と鯵と日本酒が渾然一体となった旨味で舌が軽くなっていた時に出た会話は前後が茫洋として定かではない。

やがて〆に鯛の出汁茶漬けまでさらりと頂いて酒肴としては一丁上がり、という事になる。まるで竜宮城で鯛や平目の舞い踊りなど接待を受けた浦島太郎のような程で亀ならぬ終電間近の常磐線に揺られて帰ってきたわけだ。

翌朝。ふらりと起きたところで手元に玉手箱などは当然ありはしないのだが、何やら北千住だけが気になる。僕が写真を好むことは話題に上がっていたし、その流れで何かを話した記憶もある。中心だけが欠落していて、知らない街が代わりにそこにある。

幸いにして、というか配慮いただいたのでこの日は休日であった。仮住まいのホテルにはカメラを持ち込んでいる。LEICA M6 TTL。フィルムカメラをメインに。一応GRⅢもポケットに忍ばせる。知らない街には知らないまま足を運ぶのも楽しいかもしれない。

日差しが強そうな陽気なのでポロシャツにサマージャケット。あとは財布とカメラだけを持って最寄駅から「そこ」まで向かってみることにした。

さて。北千住である。足立区に属する謂わば「下町」の代名詞として知られる、そうだ。駅から降りた感じは思ったよりも小綺麗で開けた街のように思える。大学が近くにあり学生街のような印象もある。

東京の街並みというものは目まぐるしい勢いで変わっているのだろう。駅前の広場は近代的なビルが建ち綺麗に整備されているのだが、少し歩くと昔ながらの商店街、といった味わいのある街並みが顔を現す。

もとより大した目的などない。それでもフラフラと何気なく歩いていた道が元の日光街道らしい。なるほど。宿場町の名残なのだ。人が住みやすいように駅前から次第に近代化しているのだろう。あと10年もすると見られなくなる光景なのかもしれない。

しばらく歩いてみてわかったことはどうやら昔ながらの歓楽街である、といったところか。大きなランドマークとなるものは特に見当たらないが昔ながらの居酒屋であったり青果店、理髪店などがまだ街の機能として生きている。

フィルムカメラの似合う街だ。デジタルで綺麗に解像された撮り方も悪くないとは思うが、少し寝ぼけた淡さのある絵の方が好感が持てる。使っているフィルムはLomographyの感度400。普段はだいたいこれで間に合うし、最近は結構どこでも手に入る。

氷川神社を詣で、荒川まで出る。途中で看板に出ていた「虹の広場」という場所まで歩いてみた。まあ、野ッ原である。どこまでも河川敷だ。僕がちゃんと調べてないのが悪いのだが、チューリップの時期に良い場所らしい。

もとより計画など立てて歩いているわけでもないのでベンチでウトウトと午睡をする。遠目に荒川を渡る常磐線やつくばエクスプレスが鉄橋を渡るのを観ていたが、実にひっきりなしに往復するものだ。時刻表で見るよりも忙しく動いているように感じる。

高架橋を潜り街を西から東に。こちら側は住宅地ど真ん中である。大体の方向感覚で歩いているとやがて東口側の商店街へ。こちらは高い建物の少ない開放的な街並みだ。「学園通り」の看板は結構年季が入っている。

東京電機大学の大きなキャンパスがある。実に近代的な建物で、ここだけ浮いているように見えるのだがこれもまた開発の一端なのか。やがてここにもフランチャイズの出店が続くようになり、古い商店街は姿を消していくのだろう。

ぐるりと一周、駅周辺を回ったあたりで切り上げとしたのだが「消えゆく下町」なのかもしれないと感じた。勿論、住む人があっての街なので常に必要に応じたアップデートがされていくのがあるべき姿なのかもしれない。

それでも「街としての個性」と「住みやすさ」は両立するわけではない。必ずしも便利ではないにしても、昔ながらの商店街を今日まで維持し続けた街の方々の努力は素晴らしいものがあると思う。

牡蠣は一度根付くと、一生の間ずっと海水からプランクトンを摂取する。その際に大量の海水を取り込むために結果として海水を濾過する効果が高いという。古くから続く商店街が今の新しい街作りの土台となってきたように。

また何かの機会があれば、ここを訪れることがあるのかもしれない。でも、その時はきっと違う顔をした北千住になっているのだろう。肯定も否定もしない。街は人が望むように進化していくものだ。

使用機材 / LEICA M6 TTL(Summicron 35mm F2 ASPH),RiCOH GRⅢ

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RICOHのGRⅢを片手に。ときどきシャッターを切る休日を羽田空港で。 https://kisaragi-vir.com/archives/3818 https://kisaragi-vir.com/archives/3818#respond Fri, 12 Jul 2019 07:12:40 +0000 https://kisaragi-vir.com/?p=3818

ようこそ。Scriptaをご覧いただきましてありがとうございます。
キサラギ@kisaragi_Virです。

The gull sees the farthest who flies highest.
一番高く飛ぶ鳥が、一番遠くを見られる。
Richard Bach -Jonathan Livingston Seagull-

2019年、6月の天気が良い一日の話である。仕事で関東まで出向いて少し落ち着いた頃。時期柄そうなのだが今年の梅雨も雨が多くて思うような行楽日和にはならないことがほとんどだったので、たまに日が差すとどこか知らない場所まで足を伸ばしたくなる。

度々、関東までは仕事で出てくるので割と有名なところは観ているつもりなのと、季節的にはオフシーズン。夏の陽気には早いし街の喧騒にも少し飽きたところがあって開放的な場所に向かいたい。

常磐線を東京駅に向かい山手線に乗り換える。浜松町から東京モノレールで向かうは羽田空港。別に飛行機に乗るわけでもないけど、ただ「空港」という場所で半日のんびりと過ごしたかっただけである。



相棒はRICOHのGRⅢ。離発着する飛行機を撮るにはこれでは無理である。それこそ一眼レフに望遠レンズを合わせてはじめて狙える絵があるとも思うのだけど、生憎そういった装備は持ち合わせていないので、あくまでスナップ撮影だけを楽しむことにする。

モノレールで第2ターミナルまで向かい展望デッキまで登る。初夏を思わせる夏空だが、それほど暑くもなく過ごしやすい。周りに遮るもののない広い空は天気の良さと合わせて心地よい。ベンチに腰掛けてしばし空を行き交う飛行機を眺めていた。

あんな大きな鉄の塊が空を飛ぶなんて。なんていうことを聞くこともあるが、巨大な滑走路から飛び立つ姿はまるで重力の軛から開放された海鳥のように自然と飛び立っていく。ただ轟音だけが残るのが人工物であるがゆえの宿命か。

展望デッキには今まさに飛び立つ飛行機をフレームに収めるべく、大型の一眼レフを持った外国人の姿が数人ある。みなCanonの5DやNikonのD850クラスのボディに400mmくらいの望遠レンズを装備している。ここで最も迫力のある写真を撮るのが彼らだろう。

カフェでよく冷えたアイスコーヒーを買う。これといって何をするわけでもないのだが、「何もしない」ことが大事なときは体が自分からそう言ってくるものだ。毎日朝から晩までMacと向き合って仕事をしていれば自ずと視野が狭くなる。

「遠くを眺める」ことは目に癒しを与える、という。だけど東京の街には情報が多すぎてなかなか思うようにはいかないものだ。ただ空を眺めるだけのためにここまできたのはなかなかに良い気分転換になった。

GRⅢは肩肘を張らず、ただその場の空気を撮るには最適なカメラの一台だろう。上着のポケットに忍ばせておけば良いだけなのだ。あとは気の向くままシャッターを切ればいい。

もちろんiPhoneでも写真は撮れる。正直な話、画質は相当に高いので普段の撮影においては全く問題ないレベルだろう。ではGRがなぜ使いやすいのか。それは「片手で操作が完結できる」ということだ。

実際、iPhone Xsでカメラを起動するとしよう。スリープボタンを押してFace IDからロックを解錠、カメラアプリを選択して撮影可能な状態に持っていくまでには両手での操作を必要とする。それなりに時間も要する。

上着のポケットから抜き出してシャッターを切り元の場所に収める。この流れが実に自然にできるのが一番のメリットだろう。「最強のスナップシューター」を謳う理由はここにある。

そう言った意味では「思った瞬間にとりあえずシャッターを切る」カメラであって一眼レフのように「狙いすまして一枚を撮るモノ」とは使い方が異なるのだ。フィーリングとしてはフィルムカメラを撮影している感覚に近い。

後から振り返ってみて面白い写真が入っていると嬉しい。そんな感覚が近いだろうか。つかの間の開放感を十分な時間を楽しむことができた。欲を言えば陽が沈みかけた夕方まで滞在したかったがそうもいかず。また今度の楽しみとしたいところである。

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ジブン手帳2020年版は書き心地が良くなる?発表がきたよ。 https://kisaragi-vir.com/archives/3824 https://kisaragi-vir.com/archives/3824#respond Mon, 08 Jul 2019 10:31:18 +0000 https://kisaragi-vir.com/?p=3824

Variety is the spice of life.
-William Cowper

ようこそ。Scriptaをご覧いただきましてありがとうございます。
キサラギ@kisaragi_Virです。

今年も7月となり、早くも折り返しの時期になりました。「来年の事を言えば鬼が笑う」などと諺にはありますけど、そんな鬼でも真顔になって「マジか。」と言いそうなのが今年度発売になる新しいジブン手帳の話題で。

僕を含めてファンからすればどんな進化を遂げるのかを期待しているのですが、早くも情報が公開されていましたのでサラッと紹介します。



ついにオリジナル原紙まで作ってしまった。

はい。今回の目玉は間違いなくこれですね。ここまでこだわるか、と言わせる展開になっています。「THIN PAPER」と呼ばれる新しい素材を「DAIRY」「IDEA」の2種類に採用するそうです。現状でもこの二つには「トモエリバー」という手帳向きの良い素材を使っています。

トモエリバーの良さと言えばまず薄いこと。手帳自体の厚みをスマートにすることができる上で書きやすさを損なわないことが特徴的なペーパーです。その上で紙自体の強度が高く破れにくい。そしてインクの乗りがとても良い、というのがポイントです。

それでも不満は全くないわけではなく、特に消せるペン(俗にいうフリクション系のペン)を使うユーザーからすれば、ゴムを使って消す際にやはり波打ちが出てしまう、などの報告はありました。

対して新たに開発された「THIN PAPAR」はトモエリバーよりもハリのある素材となったためにこういったスクラッチ的に使用した場合でも波打ちしにくい耐久性を実現した、というのが実に素晴らしい。フリクション派には大ニュース、と言えるでしょう。

耐久性が上がった反面、素材としては若干、厚くなるようなのですが、こればっかりは実際に見てみないとわからないですし、おそらくそれで僕がジブン手帳を使わなくなることはないので、とりあえずは朗報といった感じです。

フリクション派以外にもメリットがあるとすれば水性ゲルインクボールペンでの裏うつりが少なくなるそうです。僕は普段、三菱鉛筆のスタイルフィットを使っていて、これといって裏うつりで困ったことはないのですが、厚みが出ることで書きやすくなったり、綺麗に文字が残るのであれば恩恵がありそうで期待しています。

バラ売りの「IDEA」に関しては一足早く7月から販売が開始されるようですので、気になる方はこの夏から新しい「THIN PAPAR」を試すことができるようなのでこれも要チェックですね。

新カバー、新バージョンも随時発売。

少し前まではジブン手帳、というとカラバリや大きさなど選択肢は狭かった印象があると思います。それが去年あたりから一気にグッズのバリエーション等が増えたり、希望の多かった4月始まりバージョンが発売されたりとユーザーの期待に応える商品が続々と発売されております。

なるほど、手帳が売れて売れて売れまくると新しい商品がバンバン投入されるのがよくわかります。いずれクリエイターの佐久間英彰氏には田園調布にジブン手帳御殿が建ち、「ユーザーを魅了し続けるジブン手帳を開発し、今も進化し続ける文具王。佐久間英彰」として情熱大陸に出演するのも時間の問題でしょう。

なんていうのはさておき。今年は新色のペールカラーのカバーがまずは発表されています。これまでのビビットなカバーよりも落ち着いた色合いは女性に人気が出そうなカバーですね。

それと合わせて「DAIRY」だけを管理したライトユーザー向けに「ジブン手帳 Lite Mini」も発表されました。正直、とりあえずはじめてみたい、っていう初心者にはこれがオススメなんじゃないかと思います。

新フォントになりました。

最後にデザイン面でのお話ですね。これは使い勝手の部分には直接影響するわけではないのですが、日々のモチベーションとして大事な要素だと思います。フォントがすっきりしました。

いや、今までのが悪かったかというとそれほどではないのですが、特に仕事使いをする方にはBizではない通常版は若干ラフに思われるイメージのあるフォントだったと思います。

基本として「一冊で全てを管理する」というコンセプトでありますから、プライベートもビジネスも、一冊で管理したいのだけどちょっとデザイン的にラフに感じていた層には響くデザインになっていると感じます。僕もこっちのフォントが好きですね。

今年のジブン手帳も楽しみだ。

といったところでザッと情報を振り返ってみました。発売は例年通りで9月です。使い始めるまでには少し時間があるのですが、僕を含めて手帳にルールを決めているヒトたちは早めに手に入れて来年のイメージを考えましょう。ああ、もちろん、これからデビューする方もぜひ一度、お近くの書店、文具店などで手にとってみてください。

使い方を決めてしまうような書き方をするつもりはないのですが、日々のルーチンワークを管理したり、Todo形式でのタスク消化をしたいのならばとても使いやすい手帳です。今年で4年使って5年目に入る僕が自信を持ってオススメする逸品、この機に試してみてはいかがでしょうか。

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P5R「ペルソナ5ザ・ロイヤル」発表。令和初の新作に期待を込めて。 https://kisaragi-vir.com/archives/3803 https://kisaragi-vir.com/archives/3803#comments Fri, 10 May 2019 07:37:43 +0000 https://kisaragi-vir.com/?p=3803

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キサラギ@kisaragi_Virです。

不知周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。
知らず周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか。 -荘子-

老舗ゲームソフトメーカー、アトラスが手がける人気タイトル「ペルソナ」の最新作が先日発表されました。タイトルはペルソナ5R。「R」はロイヤルのRだそうでいわゆる完全版、ということになります。

前作のペルソナ5は2016年の9月に発売ですから約3年ぶりの更新。シナリオを追加したマイナーアップデートのようなものに感じる方も多いと思いますが、ファンからすれば「ついに来たか!」というタイトルです。そこで今回は僕がなぜ、そこまで期待していたのか、といった点にフォーカスしてみました。

ちなみにこのページは僕が気まぐれに思ったことを書いているだけなので、攻略のことなんかやお買い得情報を書くつもりはありません。でも、どこが面白くてこのシリーズをプレイしているのか、それを書いてみようと思うのです。



初代PERSONA。ここから始まる。

アトラスが「女神転生」という滅茶苦茶重たいテーマのRPGを作っていた時代から、ジュヴナイル向けに作られたタイトルが「女神異聞録ペルソナ」。これは1996年の9月に初代PlayStationで発売されました。従来の東京を舞台にした世紀末的世界観に至る作品から、学園生活を舞台にした日常感溢れる中を少年たちが奔走する作品へと大きく舵を切ることになります。

プレイアブルキャラクターが一気に増え、個性と性格が増えたことにより新規ユーザーに対する「とっつきやすさ」と、いわゆるファンタジーRPGのような架空の世界観よりも現実的に描かれた街並み、彼らのファンション、行動、感性が等身大の人間として共感を得やすくなったのがポイントなんだと思います。

当時の僕は「女神転生」支持者だったので、正直にいってだいぶライト向けに作られた作品なんだろうな。なんて軽く考えていたのですが、このタイトルはのちにして語り草となる「凶悪タイトル」の一本となります。

「女神転生」の色合いが強く、セーブ不可の巨大ダンジョンが数大きく存在し、ボスを倒しても自力でいまきた道を引き返して出るまで油断できない、出会い頭の即死事故が頻繁にある、ひたすらエンカウントが発生する、クリア時間はゆうに100時間を超える、といったシュークリームの中に激辛マスタードが入っているようなタイトルでした。
※のちにPSPでだいぶマイルドに調整されたリメイク版が出ていますから、今やるのならそちらがおすすめですね。

幸いにして、というかなんというか元々全滅慣れしていることもあって「かなり歯ごたえのあるタイトルに仕上がっているなあ。」くらいの感覚でクリアはしました。ここからのお付き合いですので相当に長いご縁、ということになりますね。

表現能力が進化したペルソナ2。

その後も1999年と2000年に「ペルソナ2罪」「ペルソナ2罰」の上下2タイトルをPlayStation2から発売します。このあたりからですね。今のペルソナのポジションを確立していく要素がしっかりとしてきます。ペルソナを使った戦闘要素以外に「音楽の品質」の向上と「アニメパートの挿入」がなされるようになりました。特に楽曲の品質を上げたことは今日まで続くシリーズの成功に大きく貢献するものがあると思います。

これは初代から最新作のペルソナ5まで一貫してサウンドを手がけるコンポーサー、目黒将司氏の功績が大きいですね。ボーカル入りの音源が人気となり、のちにリズムゲームが発売されるきっかけがすでにここにあったのです。

サブタイトルでもある「噂は現実となり、人は罪を知る。」という言葉。巷間で話題になったことが突然現実に現れ、それによって人の本質を垣間見ることができる。人間の二面性をうまく描いたシナリオはやがて荒唐無稽な展開となり予想外のラストへと向かうのですが、当時にしてはかなりエッジの尖った終盤を迎えるため、賛否両論あると作品となりました。
※個人的には「聖槍騎士団」の音源がご飯が三杯食べられるくらい大好きです。

シナリオとしては前半の「罪」は従来のジュヴナイルベースなシナリオであるのに対して後半の「罰」は一気にメンバーが入れ替わりアダルトな雰囲気を醸し出す作品となっています。個人的にはこの「罰」のキャラクター達が大好きです。このタイトルは1995年に発売された女神転生の派生タイトル「ソウルハッカーズ」シリーズとクロスオーバーしている部分があって、ソウルハッカーズの持っているハードボイルド要素がうまくミックスされた、大人でも楽しめる一作となっています。

ちなみに1と2、ソウルハッカーズの3つは時間軸が繋がっていて、更に登場人物の一部は過去作品の「女神転生if」からも参加しています。これはペルソナのこの作品までが女神転生シリーズを手掛けてきたプロデューサー、岡田耕始氏のものによるものだからなのですが、開発スタッフがしれっとNPCでゲームに登場するあたりが面白いところなのです…。今となっては知る人ぞ知る。なのかもしれませんね。

※作中に登場するレストランの給仕「地獄のギャルソン」ことギャルソン副島はこの後のシリーズでデザインを担当することになる副島成記氏だったりました。他にも多数、登場します…。
※シナリオに関わるキャラクターの中では麗 鈴舫(レイ・レイホゥ)が一押しです。もはや彼女が見たくて買っているタイトルと言っても過言ではない…。

現在に繋がるシステムを築いたペルソナ3。

更に2006年に発売された「ペルソナ3」からは製作陣が変わったことによりシステムが一新され、ストーリーを進めるにあたって「時間軸」の流れが追加されます。シナリオに関わる人間との「コミュニティ」が重視されるようになり、一回クリアしただけでは全てのシナリオを見ることができないようなボリュームとなりました。従って「周回プレイ」を行うことがある程度の前提となっています。

日常のコミュニティを進めていくことで主人公の成長が進み、シナリオも春から夏、秋、冬へと移り変わっていきます。最初こそ戸惑いましてけど、「限られた時間の中をいかに有効利用するか」ということは人生でも全く同じことで。そういう見方をすると学生生活をいかにして謳歌するか、という擬似的な青春体験ができる点ではとても面白い構造になっていると思います。
※個人的には桐条 美鶴を押します。処刑される権利があれば迷わず買います。

主人公ことキタロー(俗称)こと有里湊(漫画版)こと結城理(映画版)は最初は一見すると無気力でやる気のない少年なんだけど、ストーリーを進めるにつれて愛嬌のあるおしゃれ天然ジゴロに成長しますので?彼の成長していく姿を楽しんでください。

ただ、それだけではなくRPGとしての育成要素として存在するのが、「影時間」という全く別次元の亜空間があること。時間の流れないその空間にある、「タルタロス」と呼ばれる巨大な塔を踏破することが大きな目的の一つでもあります。ここがこれまでの作品と違うのは、いわゆる「自動生成型ダンジョン」であること。簡単にいうと「風来のシレン」や「トルネコの不思議なダンジョン」みたいなものですね。

これがプレイヤーの評価を二分するところで、毎回違う展開を楽しめる層と、同じ作業の繰り返しに感じる層の分かれると思います。僕はこの作品に関しては残念ながら後者。楽ではあるのだけどある程度は頭を使ったり、謎が解けるような要素は欲しかったです。

それでも、これまでのシリーズのように一回ダンジョン攻略にかかると長期戦になる、といった時間拘束から解放されてやりたいときにやりたいだけ進められる、といった気軽に遊べる点はよくできていると思いますよ。

このP3からリメイク、というか派生タイトルが出始めるようになります。後日談を追加した「ペルソナ3 フェス」やPSP版として女性主人公を追加した「ペルソナ3 ポータブル」が発売されました。今日、ペルソナの新タイトルが発売されると後日に完全版が出る、と思われる流れはこの作品からです。

単にリメイク、というだけではなく、ファンの見たいシナリオをしっかりと入れてくるあたりが売れる理由だと思います。新規の人は新しい方を買えばいいし、前作プレイ者は新しい視点からプレイできるわけで、一方では完全版商法と言われるかもしれないけど、個人的には嫌いじゃないです。

コミュニティが重要視されるペルソナ4。

2008年、「ペルソナ4」が発売されるとコニュニティ要素は更に強化されていきます。P3の主人公がどっちかというと内向的でナイーブな少年像だったに対して、P4の主人公こと番長(俗称)こと鳴上悠(漫画版)は色々な意味で「恐れ知らず」な性格となっているので、前作よりもより活発的に、学内だけではなく町中の様々な人間と交流するのが特徴的です。

ただでさえ時間を有効活用しなけれないけないシナリオなのに、「虫取り」「釣り堀」「家庭菜園」「プラモデル作成」などクリアにはそれほど関係ないけどやっておいた方が有利になるサブ要素を投入したことで番長が奔走することになります。なかでも「釣り」は腰を据えてかからないとリアルの時間まで奪っていく難易度となっております…。

のちにシナリオを補完したP4G(ゴールデン)をPS Vitaからリリースすることに。これはPSPのおすすめソフト、JRPG枠には大体入ってくる人気タイトルとなります。携帯機ながらプレイ時間は据え置きハード並みに長時間の攻略を必要としますが、これをクリアしてこそP4はコンプリート、と言える一作です。

歴代のペルソナシリーズの中でも一番はっちゃけてるのがこのペルソナ4です。基本会話のツッコミが激しい。メンバー内の心の内側に切り込む描写が多いのでより感情移入しやすくなっているのが良い点だと思います。恋愛要素も豊富になり、複数の女性と同時に深い関係になるのか、一人に誠実に向き合うのかで人間性が出るというかなんというか…。まあ、どのようにでも楽しむことができる自由度の高い作品です。

※人気が別れるキャラクターが多いですが、白鐘 直斗だけ頭一つ抜けたチートじゃあないですかこんなの…。

世間的に認知されたのはこのペルソナ4の影響が強いようです。皮肉なことがあるとすれば、この辺りの時期にアトラスの親会社であったインデックスの経営が悪化したことでゲームソフトメーカーとしての運営がゴタゴタとしたことがあったこと。結局のところはセガゲームスの傘下に収まったことで収束したのですが、このあたりの不遇の時期を耐え抜いたのが「番長」の時代、ということです。
※ゲーム内容をトレースしたアニメ「P4A」によるファン層獲得も大きな要素になりました。

今までRPGがメインだったアトラスが他社とのコラボ企画での格闘ゲームやリズムゲームへの参戦など、八面六臂の活動を経てPlaystation3/4の両ハードで2016年に発売されたのが「ペルソナ5」と。まあ、こういった遍歴ですね。

ペルソナ5は現代の東京を映す鏡のような作品。

前作から8年。長い時間を経て発売にこぎつけたペルソナ5は日本ゲーム大賞優秀賞ゲームオブザイヤー年間1位など多くの評価を得た作品となりました。前作からのシステムを引き継ぎ、一回では遊び尽くせない膨大なボリュームと、これまでよりも更に洗練されたポップなグラフィックに目を奪われる鮮やかな進化を遂げたのです。まあ、紋切り型の説明はこのくらいで。

ここからは個人的に思うことを。今作は舞台を東京に持ってきました。これまでの作品は全て架空の都市の話で、時間軸としては発売された時期を反映した世界を描いています。これはこれでよくできていて商店街にしても学校にしても、なんか本当にありそうな空気を醸し出していたのですが、これを東京でやったことが面白いんですね。

舞台は確かに東京で、作中の街並みを歩けばまさにそんな感じなのです。実際にある店舗なんかは出てはこないんだけど、違和感がない。新宿の街を歩けば新宿っぽいし、渋谷駅なんかは相当細かく作り込んであります。山手線やメトロっぽい電車も走っているし切符代も結構リアル。「龍が如く」みたいなオープンワールドではないんだけど、これもリアリティのかたちの一つだと思います。

加えて女神転生からのユーザーであればあるほど、「東京」という場所を舞台にすることには感慨深いものがあります。(女神転生の場合は大体東京が壊滅的被害を被りますが、今回はそんなことはありません。)そこに今作では久しぶりに従来の「アクマ」型のエネミーを登場させています。実にこれが良い。「ペルソナ」なんだけど「女神転生」をプレイしている感覚があるのです。

主人公となる青年は「理不尽な大人の権力」によって未来を閉ざされた過去を持ちます。不意に与えられたペルソナの能力によって似た境遇の仲間を集め、「義によって悪を裁く怪盗団」を結成し、弱い存在を苦しめていた「悪しき心を持つ人間を改心させていく」といったストーリーです。勧善懲悪のゲーム展開というのはRPGにおける王道ですが、この悪党像が現代を反映しているのが実に特徴的です。
※怪盗団なら新島 真一択。診療所の武見 妙、美脚組み替えエフェクトは反則だと思う…。

体罰を振るう教師、盗作を繰り返す画家、ドラッグの運び屋を強要するギャング、腐敗した政治家。今の時代ではニュースや新聞で目にするような事件が作中には出てきます。ファンタジーRPGのような「伝説の剣を手に入れる」であるとか「街を苦しめるドラゴンを倒す」のような展開とは異なり、社会風刺の強い作風というのは大人がやっても十分に楽しめる内容です。

いわゆる「現代社会の闇」を暗躍する怪盗団、というピカレスクな一面と「東京の街で生きる高校生」のジュブナイル性を絶妙なバランスでブレンドしたのがペルソナ5であり、歴代作と比べてスリル感溢れるストーリー展開となっています。

今作では対象となるターゲットの精神世界「パレス」に潜入し、その犯罪を引く起こす要因となったコア「オタカラ」を盗み出すことでターゲットを改心させる、というのが基本的な流れとなります。近年のシリーズのような自動生成型ダンジョンではなく、攻略には様々なギミックが組み込まれているので単調な移動だけではないのが楽しいです。
※2周目がダルい、といった意見もありますが…。

環境面でいえば、今作はPlayStation3/4のマルチプラットフォームになっているためもあってか、大作RPGにある「ロード時間の長さ」を感じることがほとんどありません。その時間をカットインのアニメにしているのですが、これもよくできている。一回ダンジョンに入ると結構長い時間を攻略にあてることになりますが、その際のストレスも軽いのはとても大事なことだと思います。

最後に。ここまで触れていませんでしたが、歴代全てのシリーズには唯一登場する人物がいます。主人公のペルソナを司る導き手にして謎の老人「イゴール」。今作の彼の役回りこそ一番の見所でした。アトラス作品は他のメーカーに比べ、とてもネタバレに厳しいことで知られています。だからこそ僕も予備知識なしにそのシーンを観ることができましたが、まあ、シビれる演出です。うまい。もうね、これをやりたくて終盤まで引っ張り続けたんだと思うと見事に「騙された」わけです。

こればっかりは歴代の作品をプレイしてきた人間だけに与えられたサプライズなので、今作だけをプレイしても感動は薄いかとは思いますが、メタな意味で予想を超える展開をなっていて、製作陣のしてやったりの顔が思い浮かぶのが悔しいやら嬉しいやら。シナリオ終盤のトリックも実に秀逸ながら、プレーヤーにも度肝を抜かせる展開とは予想だにしていませんでした。

2019年10月。P5Rに期待を込めて。

ここまでいろいろと書いてきました。基本的にはこれ一本で十分に楽しめます。通常のRPGよりもクリア時間は長いタイトル。早い人でも80時間、平均で見ても100時間は相当に長いです。(僕は大体110時間くらいかかりました。)それでも消化しきれないイベントがあるので2周目、といった流れになるのですが、ファンからすれば「まだ、もっとあるじゃん!」となるのがこの作品のすごいところ。

先日発表され公式サイトもすでに情報更新がされていますが、今年の10月に新しいタイトル「P5R」が発売されることになっています。続編、というよりはこれまで同様「完全版」に近い内容で、さらに新しくキャラクターを投入、新しい街の追加、そして「P5」ではプレイできていなかった時間枠の解放、と「やっぱりそうくるよねえ…。」といった展開でとりあえず予想通りです。

時間枠が増える、追加キャラクターがある、ということは当然シナリオの追加があるわけで、前作をベースとしたさらにボリュームアップは当然として、個人的には前作で消化不良だった部分の補完もやって欲しいところ。最終局面で対峙するんじゃないかと思っていた「あの人」は予想に反して終盤に中途半端にいなくなったのでこれはオチをきちんとつけて欲しい…。

まあ、色々と希望はありますが、これまでのシリーズを飽きずに続けてきた僕としては、大いに期待をしています。と、まあここまでハードルをあげる書き方をしてきましたが…。果たして怪盗団はどんなトリックを仕掛けて僕たちの予想を超えるサプライズを提供してくれるのか。楽しみですね。

さてさて。このシリーズがいかにして今のタイトルに辿りついたのか。何が僕を楽しませてきたのか。ただそれだけを書いてきました。昔ほどのゲーマーではなくなってしまったけれども、今こうして記事を書いているくらいに新作を楽しみにしています。もしもこの記事に何かの縁で流れついて読んでくれる人がいたのならば。最後はこの台詞で締めなければいけないでしょう。

「…貴方は最高の客人だった。」

※記事の一部に間違いがございました。ご指摘いただきありがとうございます。

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RICOH GRⅢ。スナップショットを楽しくするカメラは進化を続ける。 https://kisaragi-vir.com/archives/3784 https://kisaragi-vir.com/archives/3784#respond Fri, 12 Apr 2019 13:45:20 +0000 https://kisaragi-vir.com/?p=3784 ご覧いただきましてありがとうございます。
キサラギ@kisaragi_Virです。

成功というものは、その結果ではかるものではなく、それに費やした努力の統計ではかるべきものである。
Thomas Alva Edison

RICOHの「GR」といえばフィルムカメラ時代から続く単焦点コンパクトカメラの金字塔であります。歴代通して28mmの広角レンズと搭載し、高い描写性と極限までコンパクトに作り込んだボディは常にファンを魅了してきました。僕は、というとデジタルになってからのお付き合いなのでGR歴は短いのですが、それでもGRDⅢから使っているのでなんだかんだで今年で約10年。手元にあったりなかったりしましたが、やはりここに帰ってくる。そんな1台です。



去年の暮れに新モデル「GRⅢ」が発表になった際、カメラクラスタ界隈ではちょっとしたお祭りになりました。(GRDⅢは1/1.7型の小型CCDセンサー搭載モデル、GR以降はAPS-Cサイズの大型センサー搭載モデルです。型式的にわかりにくいかもしれませんので書いておきます。)

前のモデルであるGRⅡが発売になったのは2015年のこと。GRは4年に一度進化する、というのが定石ですので2019年に新しいモデルが出るのは必定ではあるのですが、やはり近年のコンパクトデジカメの衰退は「果たして今度はモデルチェンジするのだろうか?」という不安と隣り合わせだったりします。
※今回はRICOHとPENTAXの統合があったので、PENTAXブランドになる不安があったりしました。

ちなみに前モデルのGRⅡはしばらくは併売されるみたいなので、お手頃価格でGRを始めたい方にはこちらもおすすめ。

スタイルは変えず。大幅に進化した新生GR、誕生。

そんな不安を一蹴するかの如く今年発売になった「GRⅢ」。それは見事にやってくれました。従来の1,620万画素のセンサーを2,432万画素に向上させて、念願の手ブレ補正アンチダスト搭載。正直、GRで手ブレが出るのは修行不足。という認識でいましたから、もしもミスショットを出しても自己責任なのです。手ブレ欲しけりゃ他のメーカーのデジカメを買えばいいんです。とさえ割り切っていた部分もあるのですが、あればあるに越した事はないわけで(笑)ありがたいですね。

従来のモデルまでレンズ内にゴミが入ってしまうとメーカーに清掃修理に出さなければならないジレンマもありましたが、今回のアンチダスト搭載(正式には超音波クリーニング機能です。)によって、そういった煩わしさからも解放されそうです。ここまででも相当にすごい。今までできなかったことをまとめて乗っけてきた感があります。4年間キチンと開発が続いてきた結果なのでしょうね。

近年の一眼レフ機に近い2,432万画素APS-Cサイズのカメラをポケットに入れていつだって持ち運びできる、というのはやはりすごいことだと思います。確かにズームなんてありません。たしかに撮れる画角は決まっています。だけど、決まった画角だけばビシッと決まる。頭の中に撮りたいイメージだけあればもはやファインダーを覗く必要さえない人も多いでしょう。ポケットからサッと取り出してGRを向けるだけなのです。

思えばかつて、RICOHは「GXR」というマイナーなカメラをリリースしています。GRDⅢと時期を同じくしていますが、「ボディ」と「レンズとセンサー」が別々になっていて、目的に応じたレンズユニットを付け替える、というコンセプトのもと一眼レフ画質のレンズユニット、A12シリーズを作っていたことがありました。

その当時、コンパクトデジカメにAPS-Cセンサーを搭載するアプローチとしてはかなり斬新なものがあって、大型センサーのモデルは28mm F2.5と50mm F2.5マクロ、後はCCDセンサーのズームレンズが数本。2009年当時の話です。色々頑張ってユニット選んでようやくAPS-Cサイズで1,230万画素。GRをふた回りは大きくしたカメラボデイでなんとかそれだったのが10年でここまで変わるんですね。時代を感じるわあ…。

さて。GRの基本的なボディサイズを変えることなく、むしろ従来のGRⅡよりも小さなボディサイズに設計した上での2,430万画素。他のメーカーからも高級機は発売されていますが、ここでモデルチェンジすることによってより尖った性能を見せつけることになりました。もちろんただベタ褒めだけするつもりはないのでそれはこれから。

折り紙付きの高画質と操作性。でもクセは強いよ。

このカメラは性質上、万人向けじゃあありません。GR好きなら誰でも知ってます。自分の好きな画角がわかっていて、撮れる写真がイメージできてこそ初めて好きになれるカメラだと思います。28mmがベースで、35mmと50mmに画像を切り取るクロップはついていますがズームはありません。GRⅢに関してはストロボさえありません。それでいて10万円はする高級コンパクトデジカメです。

誰でも使いやすい万能な性能を求めるなら、おそらくSONYRX100シリーズを買うべきです。ツァイスの高解像ズームレンズ、多彩な撮影モード、 最新モデルならば4K動画対応。一台でかなりの撮影シーンをカバーできるでしょう。費用対効果ならこのシリーズを手にするのが高い満足度を得られることでしょう。

かつて僕も一度、RX100M3を使った時期があります。手持ちの一眼レフを一旦処分して、コンパクト一台で写真を撮るようにしたい、と思うことがあったからなのです。確かにこれはこれでとても便利なカメラです。実に良い写真は撮れますしポケットに入れてどこへでも持っていける大きさなのもベストな選択なのではないかと思えました。それでもRX100のシリーズを買い続ける事はなかったのです。なぜか。

これはあくまで僕個人の感想となりますが、最終的にはホールディングの差が大きいと思います。GRの方が圧倒的に速写性が強いと感じます。ポケットから片手で取り出して、必要な操作とレリーズするまでの流れがスムーズです。RX100は両手で操作しないと不安なシーンを多く感じました。コンパクトなサイズに多くの性能を搭載する事とのトレードになるとは思いますが、手軽にスナップショットを撮りたいのであればGRに軍配を上げます。(一応、RX100が使いやすくなるグリップは発売されていますので参考までに掲載しておきますね。)

注意すべき点はもうひとつ。最新のGRⅢはバッテリー性能が若干弱くなりました。一回の充電での最大撮影枚数が約200枚。(GR2は320枚です。)実効値ではもう少し少なくなると見積もるべきですから、バシバシ使う方は予備のバッテリーが必須となります。充電器は同梱されていませんから別売りオプションです。ちなみにUSB-Cのコネクタなのでモバイルバッテリーから給電しながら使うこともできるそうです。ちょっと貧弱ですがオプション次第でなんとかなりそうです。

平成最後に買ったカメラはGRⅢ。令和はこれで撮ります。

さて。色々と書いてきましたが、かくいう僕もGRⅢを購入することとしました。GRDⅢ、GR、GRⅡと続く4台目のGRとなります。発売時期が3月下旬で、ちょうど仕事のドタバタがあって地元にいられず、出張先で予約を入れてもどこで受け取れるのかわからないような状態だったので、迷っているうちにスタートが出遅れてしまいました。

そうなると周りの下馬評が見たくて…。なんていうことをしているうちに購入時期を逃して初回限定モデルを書い損ねそうになっておりましたが、そこは蛇の道は蛇。無理やりブルーリングモデルの在庫をひねり出してみました。(笑)
※初回限定モデル・・・新機種が発売されると限定台数でリングキャップが貰えます。今回は6,000台限定とのこと。

触ってみた感じでいうと、GRⅡよりも横幅が短い分だけ、ボタンの配列が変わっていますが、使いやすさにそれほど影響はなさそうです。GRⅡの時はうっかり露出補正のボタンを押してしまうことがあったのですが、なくなれば押すこともなくなるのでそのへんは少しいいのかも。ADJボタンで補正、と言われればそのうちに慣れるでしょう。

液晶も気持ち見やすいかなあ。タッチパネルになっているも進化点です。どのくらい使うかはちょっとわからないですが。ディスプレイサイズ自体は同じ大きさなんだけど、ボディの厚みが薄くなってデザインとしてはより自然な仕上がりになっています。

新しくなったコントロールダイヤル、初回生産モデルで不具合が出ているものもあるようですが、とりあえず使いやすい。けどへたりやすいリングかもしれないかなあ。前のボタンの方が強度は良かったように思います。全体的に操作感は良好で起動も早くキビキビ動きます。細かいところはありますけど、全体的には大きな不満なく使えそうなカメラですね。

使いにくい、を楽しむ時代がきている今だから。

最後にこれだけ言いたくて。RICOHは1994年にGRの初代、R1をリリースしてからずっとこのシリーズを淡々と作り続けてきました。25年の間にカメラは著しい進化を遂げて今の時代は綺麗に撮れる、が当然のこととなりました。でも近年はそれだけじゃあなくなってきましたよね。

若年層に「写ルンです」が再認識され始めたり、フィルムカメラの人気が再燃し始めてきています。ざっくり分けて世の中にはスマホを含むデジタルカメラで高画質な画像を求める人たちと、ネガ、ポジフィルム特有のアナログ感を求める人たちがいます。前者は画像を正確なデータとして、後者は思い出感、とでも言いましょうか。ファジーな感覚を求めているんじゃあないかと思います。

少し前までは解像力の高い「綺麗に撮れる」需要がメインでしたが、今の時代、Instagramのようなネットに上がってくる写真は実に幅が広いです。みんなが実に色々な機材で写真を撮っています。最新の高級機もあれば懐かしのヴィンテージ機もあります。最終的には一枚のプリントになるのは変わらないんだけど、その過程を様々に楽しむ時代になりました。

僕も去年からLEICAM6 TTL、っていうフィルムカメラを使って写真を撮るようになりました。フィルムって今のご時世、買えば高いし、現像するまで画像は確認できないし、一旦デジタル変換しないとSNSにも上げられない。基本、どこまでも面倒なんです。ただ、この面倒な手順を踏んでいくことが楽しいことなんですよね。

機械任せのオートで簡単に、っていうのも悪くはないけど、自分で頭をひねって色々試して、最後の最後は当日の天気に運を委ねる。そこまでやって思いがけずに良い写真が出たりするとすごく嬉しいわけです。だからヒトクセあるカメラにも愛着が湧くし撮影していても楽しくなります。つまりそういうことで。

「何かしらの縛りがあった方がゲームは面白い」のです。それがフィルムなのか、レンズなのか、はたまたロケーションなのか。やり方はいくらでもあると思いますけど、GRっていうカメラはその答えの一つではないかと。単焦点レンズでどのように世界を切り撮るか。足を使わないと、目線を変えないと、面白い写真にはならないものです。

今回発売されたGRⅢは、そんな挑戦者たちの写真がいまより少しだけ上手に撮れるように。そんな進化を遂げているカメラなんじゃないかと思いつつ。これからどんな写真が撮れるか楽しみにしています。

まあ、今回はこのくらいで。ご覧いただきありがとうございました。

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