2019-11-18

Nikon Z6、というミラーレスカメラを選択するまでの長い理由。

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キサラギ@kisaragi_Virです。

Roses are red, Violets are blue, sugar is sweet, And so are you.
ばらは赤く、すみれは青い、砂糖は甘くて、あなたは素敵だ。 -Mother Goose

いきなり極論ではあるが、今のご時世カメラというモノは何を選んでもそれなりに綺麗に撮れるものだ。そうそう失敗などしない。フィルムカメラだろうがミラーレスだろうがフルサイズだろうが絵作りという作業に基本、変わりはない。使うニーズに合わせて選べば良いと思う。

それでもやはり差別化、という考え方はあって近年はデジタルよりもフィルムのカメラが脚光を浴びることが増えてきた。デジタルよりも柔らかい表現のできる、空気感がある写真作りはやはり良いものだと改めて再認識されているのは好ましい傾向なのではないだろうか。



「伝統」と「標準」は似て非なるもの。

機械式の腕時計や万年筆のように、どれだけそのジャンルが進化しても、オーソドックスなモノは「そこ」でそもそも完成しているのである。

かくいう僕も去年にライカを購入した。LEICA M6である。昔からの高嶺の花でなかなか手にはできなかったカメラであるが、近年のフィルムカメラ熱が高いことと、デジタル機とは異なりコンディションの良いボディが確実に少なくなってきている今、手にするべき時期にきていると判断したこともあり、半ば清水の舞台から落ちる気持ちであったが結果としては実に良い買い物となった。

長く愛用される機械にはそれなりの理由がある。LEICA M6を実際に持ってみればそれを感じることができるだろう。それは写真としての写りだけではない。持ち運ぶ際に体に負担をかけない程よい重さ、構えた時に掌の中で行う操作が実に簡潔にして快適であること。機械として堅牢で長く使えること。日常の傍らに置いておきたい、そんな一台である。

先に「オーソドックス」という書き方をした。日本語に直せば「正統な」「伝統的」と訳すのが正しいのだろう。ライカを含めてオールドカメラは「オーソドックス」なカメラを使っている、という感覚でいる方が自然なのだと思うのだ。

類する表現としては「スタンダード」がある。こちらは「標準的」「一般的」ということになる。現在、世に出回っている多くのデジタルカメラはこの「スタンダード」なカメラ、という位置付けで良いと個人的には分類している。

リコーのGRやフジのX100などのシリーズが人気を博すのは、この二つの感覚を絶妙に取り入れた機種だからだと思う。10万円超のハイエンドコンパクト、というモノはそういった視線でみるべき機械。その延長にあるのがデジタルライカ。いつかは手にしたいと思う夢である。

対象をカメラからコーヒーに変えれば更にわかりやすいだろうか。手動のミルで豆を挽くのはオーソドックス、電動ミルで挽くのがスタンダード。前者には自分好みで挽き方を調整できる点に、後者には安定した品質で手軽に楽しめる点にメリットがある。

レンズは豆だろう。世界中にある産地の様々なコーヒー豆はそれぞれに個性的な味を持つ。その日の気分で豆を選んで淹れることができる感覚が近いと思う。高い豆には高いだけの理由と、それに見合った味がある。

どちらかが優れているのではない。自分のライフスタイルに合わせたモノを選ぶのが正しいのだ。強いて言えば両方を知ることができればシチュエーションに応じて使い分けることができる。忙しい朝には電動ミルを使って豆を挽く。落ち着いた夜には手動で挽く。選択の幅は趣味を広げる、ということだ。

これからはカメラメーカーの逆襲が始まる、という期待。

さて。そういう前置きをさせていただいたが、表題の通り先日、Nikonのミラーレス一眼であるZ6を購入した。先に書いたところで言うところのスタンダード側のカメラ、ということになる。細かい数字を並べるのは好きなタチではないうえ、レビュー的なモノも出尽くしている機種だけに僕の思うところだけを書いていこうというのが今回の趣旨である。

2018年あたりから、カメラ業界はミラーレス一眼元年、とも言える勢いで種類が増えて活況であるような空気を醸し出している。この書き方をすれば穿った視点から見ているような文章なのだが、実際にそうだと思っている。

一眼レフ機の出荷台数は既に頭打ちである。数少ないパイをカメラメーカー同士で取り合っているのが現状だ。そこを遡ること数年前、2013年にSONYが発売したα7が状況を変えたことになる。センサーサイズが小さいことで小型軽量なボディ、というのがこれまで常識だったミラーレス一眼に、高級機クラスのフルサイズセンサーを搭載したことで業界に変動が起きた。

以来、改良を続けたα7シリーズはミドルユーザーからハイアマクラスまでの人気を一気に獲得することになる。プロフェッショナル向けだけはNikonやCanonに譲る部分があるにせよ、一番多く市場に出回る部分をSONYが寡占した、と言っても過言ではない状況が今日なのだ。

僕も元々はカメラ店で働いていた経緯のある人間なので、人に聞かれたのならばSONYのαを買っておけばとりあえず外れを引いた感は少ないんじゃない、なんて答えるだろう。後は連写したいのか高感度がいいのかで若干選ぶクラスが変わるくらいだ。

CanonのEOS RやNikon Zは一人勝ちしてきたSONYの牙城を崩すべく投入された機種、と考えていい。先行しているSONYをどれだけ追い上げることができるかが今後の勝負どころになるのだが、どちらも豊富なレンズ資産を持つメーカーだけに、数年後を見据えるといい勝負になるのではないかと期待している。

先日、SIGMAからコンパクトサイズのフルサイズミラーレスカメラとして「fp」が発売された。完全なダークホースであったが、好調な販売台数での滑り出しとなったようだ。確実にユーザーの選択肢は増えてきている。まだまだこの業界は新しいモノを生み出し続ける活力があるのだ。

再構築されたNikonのミラーレスカメラ。

自分で買っておいてなんだが、Z6は人を選ぶ機種であると思う。バッテリーライフはそれほどゆとりはないし、今時メモリーカードがXQDのシングルスロット、専用レンズは開発スピードが相当に遅いからラインナップ拡充までには相当時間がかかる。それでいてα7よりはだいぶ強気の価格設定である。

それで良い。と書くと変に感じるかもしれないが実際そうだと思う。かつてNikonは「Nikon1」のブランドで一度、ミラーレス機に挑戦している。普及機を作った、という感覚なのだろうが見事に外した。断言しよう。あれはNikonファンからは人気を得られず、他のミラーレスメーカーからの乗り換え需要もなかった。

高価格帯でも良い。Nikonらしい堅牢さ、センサー画質に手を抜かない、シリーズに将来性を持たせる。この辺りのことが弱かったのだ。一眼レフ機の販売台数が減っている今だからこそ、今回のZシリーズには本気で開発されている意思を感じる。背水の陣のなか、死中に活を求めた結果に開発されているのがこのZ6および高画質モデルのZ7である。

同時に発表されているZマウントのレンズもこれからを見据えてのもの。アダプター経由で既存のレンズを使用することも勿論可能であるが、これからはZシリーズがメインのラインナップになっていくものと思われる。既存のユーザーならば入れ替えを、新規のユーザーならばこれから発売される商品群を見据えて購入する必要がある。

故に仕事で写真を撮るのならば、色々と考えて購入計画を立てる必要のある機種なのだ。幸にして僕にはそういったことがない。日常のスナップを撮るのにポチポチ使いたいのがメインである。それなら安いミラーレス機でも良い気もしなくもないのだが、電子ビューファインダーの視野が大きい機種の方が撮影していて楽なのだからそういう選択なのだ。

数字ではなく、己が直感を信じる。

そう。この電子ビューファインダーがZ6における、他のデメリット全てをトレードオフにする最大のメリットだと僕は考えている。SONYでもCanonでもなく、Nikonを選ばせたのはこのファインダーの画質である。

もちろん、ファインダー画質みたいなモノは個人ごとの好みがあるので、どれが正しい。なんていうベクトルで語るものじゃなく、どれが合うか、という考え方でいいと思っているのだが、実に自然な発色をするZ6は見ていて疲れない。僕にはαやEOSは鮮やかすぎるように感じるのだ。

フィルムカメラのファインダーを覗くような自然な質感の仕上がり、というのは単純なことのように思えてなかなか難しい。家電メーカーの液晶はテレビと同じようにメリハリの強い画質を出してくる傾向がある。テレビの場合は映っているコンテンツが完成形だけど、写真の場合はソースである。ことデジタルに関しては若干の補正を加えて完成形になる場合が多い。

なので素材としてはできるだけナチュラルであることが好ましい。だからファインダーから見える絵、というものもできるだけ「そのまま」見えることが重要で、そのあたりをZ6はかなり忠実に再現できている点が僕の気に入った要因なのだ。

自分で書いていて思うことは、結局のところ最後は感覚。カタログスペックの数字ではそれほど心が動かないものだ。実際に現物を触ってみて、ファインダーを覗いてみてレリーズしてみる。「ああ、これだな。」と直感で理解できる感覚、とでも言えばいいか。そんな感じだ。

昔の話をしよう。新しいPCを購入しようと悩んでいた時期がある。大型家電店でいろいろなメーカーのPCを触って検討していたのだが、いまひとつ決め手に欠ける機種が多かった。そんな時に触ったのがApple社のPowerbook G4。デザインの美しさは勿論だが、12インチのコンパクトサイズなボディにフルサイズのキーボード、それが圧倒的に打ちやすかった。打算はするのだが最終的にはこの手の直感でモノを買うことが多い。

以来、G4と書いたので時期を察する方も多いとは思うがその後、AppleはiPodiPhoneと時代を象徴するデバイスを発表し続け日本でも大きなシェアを持つようになる。長い付き合いになっているが、僕のなかではきっかけはG4を触ったこと、だ。何がきっかけで物事が動くかはその時にはわからないかもしれないが、いわゆる「ピタゴラスイッチ」は現実にもきっとあるのだろうと思う。

例えばある天気の良い昼下がりの午後。街でとても美しいデザインの傘を見つけたとしよう。触った瞬間に「いつか使いたい。」と思ったのならばその場で買うべきなのだ。たとえ今は晴れていたとしても。もしも帰り道に急な通り雨が降ってきて困っている人を見かけたのなら、近くの駅まで一緒に歩けばいい。それがきっかけでひとつのスイッチが入るのかもしれない。直感は次に何かに繋がることがあるだろう。

少し回り道をしてしまった。ともあれ。先日アップデートされたことにより、人間の目にピントを合わせる「瞳AF」が搭載された。SONYほど高速ではないにしても、ポートレート撮影には大きな威力を発揮する機能だけに「ある」こと自体が非常に重要だと思う。

余談ながら、他のメーカーなら富士フィルムのファインダーも見やすい。いわゆる「撮って出し」をするならば実に使いやすいメーカーとされているのにも大きく納得できるものだ。

今年に入ってから、高額のキャッシュバックキャンペーンが続いていたことと、購入したカメラ店でも合わせて高額下取りがあったので金額的にもそれほど大きな負担にならなかった点もあるのだが、24-70mmのキットレンズと合わせても思っていたより安く収まった。

自分のなかの適材適所と分相応を知る。

あとは気持ちの問題が大きいだろうか。SONYやCanonに比べて、今のNikonはカメラだけだと正直、かなり分が悪い。ここで状況をひっくり返さないとこれまでのようなモノ作りをいつまで続けられるか疑問符がつくところ。Zはさながらドイツ陸軍が二次大戦後半に投入したティーガー戦車のようなカメラである。(別にNikonが敗戦間近と言ってるわけではないので気を悪くしないで欲しい。)

余計なことだが、個人的にはティーガー戦車は大いにリスペクトしている。燃費は悪くメンテナンスも複雑で整備兵泣かせの駄々っ子であるが、鉄壁の防御を誇り、大破した台数が少ないことで知られる。前線に赴く前に頓挫する車両が多かったのはご愛敬である。

判官贔屓ではあるが、このZシリーズで新たな顧客層を発掘して欲しいと考えている。どこかひとつのメーカーが勝ち抜ける状況になると市場は膠着する。お互い切磋琢磨することでモノは大きく進化していくものだ。

フィルムならLeica M6、デジタルならNikon Z6。実にゴロの良い取り合わせである。その日の気分でMを持ち出すがZを持ち出すか、みたいな遊び心で選んだ酔狂な部分もあるのだが、今のところは満足しているのでこれで良い。

Zマウントにアダプタを噛ませてMマウント変換にして、ズミクロンのレンズをつけるのも楽しみである。以前にOLYMPUSのOM-D EMⅡを所持していた時期もあるのだが、デジタル換算で倍率がかかるため使おうとまでは思わなかったが、フルサイズとなるとこの辺りが現実的になり、能動的に試してみたくなる。

あてもなく知らない街を歩く。思いがけず絵になる瞬間に出会う。そんな時に一瞬、立ち止まって一枚シャッターを切る。そんな時に自然な所作で撮影できるのがM6。撮りにいく目的が決まっている。じっくりとファインダーを構えて、細かい調整などを加えながら狙い澄ました一枚を撮る。そんな使い方をするのがZ6、というような使い分けを僕のなかではイメージしている。
モノを買うのには理由がある。ライフスタイルのどこに「それ」を嵌め込んでいくかを考える。最終的なゴールにたどり着くまでに一回でいけるのか、何ステップか経由してそこにたどり着くのか、という現実的なルートが必要になる場合もある。

冒頭にも若干触れたが、やがてはデジタルライカまでたどり着きたい、という淡い思いはある。スタンダードとオーソドックスを兼ね備えた、時代に流されないカメラのなかでのひとつの到達点である。

山登りでいきなり富士山を踏破しようとは普通は思わないだろう。まずは実力にあった山から順番にクリアしていくものだ。そういった意味で、今、僕がいま登る山に見合っているのはNikon Z6なのだ。もう少し体力が増えて、もっと大きな山に挑める日が来るまで。良き相棒としてカメラライフを支えてくれたらいいな、と期待を込めて今回の話はここまでにしようと思う。

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