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八月のプールサイド。トンカチな子供心と鬼灯の実。

ようこそ。Avenir.infをご覧いただきましてありがとうございます。
キサラギ@kisaragi_Virです。

”enjoy” Actuality changes with this word.
Ian Thorpe

とある8月の休日のハナシなのですが、なんとなくショートショートみたいなものをつらつらと書いていたら一本できたのであげてみました。たまに思いついてもMacの中にメモとして放り込んでいる事がほとんどなのですが、たまにはこういうネタも良いかも、という感じで掲載してみます。おヒマでしたら読んでいってください。

photo credit: A.Ddiction SEA DOW ING via photopin (license)


連日続く暑さに耐えかねて近所のコンビニまで飲み物を買いに行くことにした。

34度を超える気温である。暑いのだからアイスクリームやかき氷でも良いかとも思ったのだけど、食べた後のベタつく感覚がかえってサッパリとしなさそうだったのでウィルキンソンの炭酸水を数本買って帰り道をとぼとぼと歩いていた時のことだ。

ジリジリと照りつける太陽と低く鳴く蝉の声、汗ばむTシャツに辟易しながら歩いていると、むかし通っていた小学校を通り過ぎる。卒業した後でも同じ場所に同じように鎮座する校舎は見た目はそれほど変わらないけど、きっと内装はガラリと変わっているのだろう。

夏休みだから当然、静まり返っていて普段なら聞こえる子供達の声もしない。校舎沿いの道を横切って進むとこちらも静かな水面を湛えたプールが見える。最近塗り替えられたのであろう鮮やかなマリンブルーの25メートル。コンクリートでできたプールは見た目にも涼やかで夏の風物詩を感じるのだけど、僕の場合は気持ちの良い思い出だけではなかったりする。

僕はそれほど早くは泳げない。



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昔と同じ校門前に立ち止まると小学校の頃の記憶が蘇った。当時の僕は身長も低く華奢な子供だったので御多分に洩れず、運動はそれほど得意ではなかった。「小さく前に習え」だと前から三番目。平凡に走ることぐらいは問題なかったが、水泳だけはとにかく苦手で晴れ渡った夏の日の体育の時間は憂鬱でしかなかった。プールの日は土砂降りの雨が降らないかと普段はろくに信じていない神様に祈ったりしたりね。

学校のプールには外部からの不審者が入って来られないように2メートルくらいの高さの金網が張られていて、日光の照り返す砂漠みたいなグラウンドと水を湛えるオアシスとの境界線になってる。入り口には植え込みがあって昔は鬼灯の花がたくさん咲いていた。変わったカタチの赤い実がなる植物だから強く記憶に残っている。

他の子たちは金網の内側は楽園のように感じていたんだろうけど、僕にはプールから脱走できないように囲まれた監獄の鉄条網にしか思えなかった。だから金網の下を行ったり来たりする蟻の行列を見てはこいつらは自由にこっち側とあっち側を行き来できて良いな、などと他愛のないことを考えていたものだ。

水に浸かること自体はとても気持ち良いし、潜水するのも辛くはなかった。でも水を切って泳ぎ進むことが苦手だった。それでも下手なりに何年も授業を受けていればクロールぐらいは何とか泳げるようになりはしたが、泳いでいてそれほど楽しいとも思わなかった。

平泳ぎは理屈はわかるんだけどなかなか前に進まないし、背泳ぎやバタフライに至ってはもはや泳いでいるのか溺れているのかもわからないレベルの有様だったので途中から諦めてしまっていた。たぶん今でも泳げないと思う。やったこともないけどね。

小学校のプールの記憶は黄色いゴム製の水泳キャップと錆びた金網。消毒槽の鼻にツンとくる塩素の匂い。

当時、子供なりに苦手なことは克服しようと考えたこともある。夏休みの間、母親からお小遣いをもらっては近くの市民プールに歩いていって泳ぎの練習をしていた。ビート板を片手に不器用な泳ぎをバタバタとやっていたものだ。でも、今にして振り返ってみるとその時やっていた事は「本当に泳げるようになりたかったのだろうか」と気がついた。

僕は「泳げるようになりたい」のではなくて「泳げないことを確認したかっただけなんじゃないか」ということだ。一生懸命に練習したけどダメでした、って言いたかったんだろうな。
やらないでできないというのはお話にならないレベルでダメだけど、いろいろやってみたけどダメでした。って周りの大人に言えばそれは一つの免罪符になるんじゃないかと子供なりの言い訳をしたかっただけなんだろう。

そこでいまやっていることと、自分が本当に求めている結果が真逆なのだ。上手くいくはずがないのである。

過去を振り返って思うこと。「あの時もっと努力していれば今とは違った結末があるんじゃないか。」別に泳ぐことだけじゃなくて、人間生きていれば必ずぶつかる壁である。真摯な人間ならばぶつかる壁に必死で食らいついて登るのだろうし、要領が良い人間ならば上手に迂回する方法を考える。壁自体を乗り越えないことだってある。

そういった選択を無数に繰り返して現在という場所に到達するわけだけど、どれを登って、どれを登らないかは人それぞれ。だから本当に登りたいものを見極めることが大事。なんて言うのは簡単なんだけど、その時に目にしているその壁が「本当に登りたい壁なのか」ということがわからないこともある。世の中には意外とそういったものが多いものだ。

すこし表現は変わるが、これからやってくる未来のハードルは「飛ぶ」か「飛ばない」かの選択をすることができるけど、過去に「飛ばなかった」ハードルは遡って戻って飛ぶことができないモノの方が多いだろう。でも、「飛ばなかった」選択をしたその時の判断を一様にネガティブに否定するものでもないと思う。過去を後悔しても何も得るものはないのだから。違う選択をしたことによって新たな選択肢が見えてくることだってあるしね。

当時あまり泳げなかった僕は夏の暑い日、降り注ぐ太陽光線の下で遊ぶことよりも、静かに家で本を読んでいることの方が楽しかった。世に言う本の虫である。泳げることよりも静かに読書をしていたかった。

同じ学校で、同じように学んでも、育つ子供の才能なんてバラバラなんだ。運動の得意な子、絵の得意な子、虫取りの得意な子、ピアノの得意な子、誰にも何かしらの才能を神様は授けてくれるもの。そんな中で僕には本を楽しく読む才能をもらったのだと思う。今でこそ読む冊数は少なくなってしまったけど、そういったベースがあるからこそ、今になってこういう文章を書いたりすることが全く苦ではない。

僕にとって水を湛えた夏のプールにはオアシスはなかったけど、夏休みの図書館は無限の文字の海で、そこで泳ぐのは最高に楽しい時間だった。

人間万事塞翁が馬、という言葉もある通り、人生なんてどこで何が起きるかわからない。

ちなみに水泳ができなくてもクラスで居場所がない気持ちになったことはあまりなかったりする。プールに浸かって泳いでいる時間はひたすら憂鬱なんだけど、「ドンマイ!ガンバレ!」って声をかけてくれる友達がいたから。引け目があっても応援してくれる人がいればなんとか溺れない程度には授業を受けられた。

やがて本から得た知識で「ちょっと変わった事を知っている」頭でっかちなイタズラ少年として仲良しグループの一翼を担うようになっていくのだけれども、それはまた別のお話。ともあれ、なにかしらの個性があればクラスっていう小さなコミュニティの中でも存在を確立できるものだ。

だから僕は過去の選択はできるだけ肯定することにしている。自分を構成している要素は自分の選択肢でできているからだ。できないことを憂うのではなく、できることに誇りを持って生きていくことの方がずっと楽しいしね。

八月のカラリと晴れた空の下。額の汗をタオルで拭い、ペットボトルの栓を開ける。炭酸を開封するとき特有の「プシッ!」と弾ける音が好きだ。ほどよく冷えたウィルキンソンが喉を潤すと夏を生きていることを実感する。最近久しく鬼灯の実など見てはいないけど、どこかで目にする事があればきっとあの夏の暑い日に駆け回った校舎と仲間たちのことを思い出すのだろう。みんな、元気でやっているのかな。

もしも、そんな昔の仲間に会って「泳ぎに行こうぜ。」なんて言われる日がくる事があれば、はるか昔に飛び損ねたハードルを飛びに戻ってもいいのかもしれない。そう。「泳ぐこと」はいつからでも、どこからでも挑戦できるハードルなのだから。遅すぎることなんか、何ひとつないんだし。


最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます。夏ってなんか開放的にもなる反面、色々と思い出すことも多い季節なんですよね。しゅわしゅわした記憶をブログという名前の瓶に詰めて出荷してみました。美味しくできていたらいいんだけどな。

よければまた観てくださいね。それではこのあたりで。merci ♪

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