2016-09-07

映画「君の名は。」のなかに感じた日本的美意識のこと。

ようこそ。Scriptaをご覧いただきましてありがとうございます。
キサラギ@kisaragi_Virです。

住する所なきを、まず花と知るべし      -世阿弥-

公開から少し経ちますけど、まだまだ話題に事欠かない映画「君の名は。」僕も一応、2回は劇場で観させて頂きまして、とても良い作品だと思いました。いやあ、素直に泣ける映画でしたね。

色々なところで感想のレビューが出ていまして、そのどれもがとても面白いです。で、同じような記事を書くのもなんですし、僕なりに考えたことがあるのでちょっとだけ書いてみようと思います。
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(神木君、上白石さんが演じた瀧と三葉の入れ替わりがものすごいハマリ役だったとか、時折入るタイムラプス的な演出がとてもかっこいいなあとか、RADWIMPSの音楽が泣ける、とかは誰か書いてるだろうし、新海誠監督の作品はこれが初めてなので、他の作品と比べてなんとか、なんて言えませんから切り口をかえてみましょ。)

予めご了承頂くことは本編の完全なネタバレを前提にしていますし、丁寧なシナリオの説明を書くつもりもありません。なんとなく概念の部分で面白いと思ったところだけ書きたい、という感じですので、ウチの記事を見て作品の事を知りたい、という方には向きませんのでそこだけは何卒お間違えのなきように…。それでは始めますね。

日本古来からの美意識

突然ですが、僕が以前に読んだ本の中に「明石散人」という作家さんがいます。京極夏彦さんの師匠筋にあたるとか、博覧強記でメディア関係に強いパイプを持つ知の巨人だとか、覆面作家でその正体は謎が多いとか結構不思議な人なのですが、独自の切り口で歴史や物事に新しい解釈を加えるその姿勢が実に面白いんです。

で、この方が言う「日本人の美意識」の観点に「侘び、寂び、幽玄」は3点セットで語るべき、というくだりがあります。僕たちが普段使うのは「侘び寂び」の部分だけで、「幽玄」に関しては別枠で語ることが多いのではないでしょうか。

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ちなみに「侘び」とは「貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識」不足の美を表現する言葉として茶道などの美意識に多く用いられる言葉。

そして「寂び」とは「閑寂さのなかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさ」物事の劣化する様をあらわしていて金属の「錆」の語源にもなる言葉。

そこをざっくりと明石風に解釈すると「侘び」とは生きてきた経過、経験、それ自体を感じさせる感覚であって「寂び」とは侘びの延長にある、既に存在はないが失われた存在や出来事を感じさせる何かに対する感覚、ということになります。

もっと端的に言うと侘び=「人生」寂び=「死後」に対する感覚なのですが、そこにプラスワンで加えなければいけないのが「幽玄」である。と、こういうことです。

そこでの「幽玄」とは。

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photo credit: Mikkyo Zen lecture via photopin (license)

平たく辞書を引くと「物事の趣が奥深くはかりしれないこと。また、そのさま。」と出てきます。「幽」はかすか。「玄」は奥深い。といった意味合いを持っていて「侘び寂び」と並び和歌、申楽、茶道など日本文化の根底に根付く重要な考え方の一つです。

能の世界観を大成させた世阿弥は幽玄の解釈はその定義を「花鏡」という伝書において「ただ美しく、柔和なる躰、幽玄の本躰なり」と残しています。

幽かであること、奥深いこと、そして美しくあること。

明石説では「幽玄」はありえない美しさ、と表現されます。生まれたばかりの子供の美しさ、羽化したばかりの蝉が見せる神々しさ、そういった「誕生の瞬間」に見られる美意識です。つまり侘び、寂び、幽玄はそれぞれ人生、死後、誕生という世界観を表す概念である、と説いています。

という感じで概念の部分を長々と書いてきましたが、これがこの「君の名は。」に対して実によく当てはまるのではないか、と感じたのです。

つまり瀧と三葉が入れ替わりという不思議な形で出会って、ギクシャクと干渉しながらも互いに成長をして絆を深めていく姿は「侘び」である「人生」の過程。

分裂したティアマト彗星の落下によって死んでしまった三葉を思い、過去を振り返って行動を起こす瀧の姿は「寂び」つまり「死後」の世界。

そして宮水神社の御神体が祀られている「あの世」で運命の流れを変えて、最終的に「彼誰時」に二人が再び出会い、新しい人生が切り開かれるあの瞬間こそ「幽玄」の美になるんじゃあないかと。

彼誰時、あるいは黄昏時。この世とあの世の境目、太陽の光が落ちて世界が不安定になる時間。そこで再び出会う瀧と三葉。このわずかな時間だけに見える互いの姿こそまさに幽玄の美であって、まさにこの瞬間、日本人の魂に響く全てが凝縮されていると思うのです。

作中、組紐で顕されるヒトとヒトの繋がり「ムスビ」という思想はこれに実によくマッチしています。繋がり、絡まり、解れて、時に進み、または戻り、そしてやがて何処かでまた出会う。
それはつまり、生まれ、育ち、死に、出会う。ヒトという繋がり成長していく生き物のことです。

最初は魂の入れ替わりとスマホに残した記録によって繋がれた二人の絆だったものが、やがて時を超えて、生死の境すらをも超えて繋がっていく。そしてその絆は「ムスビ」の理によって不可能すらを超えた新しい世界に着地することになります。実に気持ちの良い大団円を観させていただきました。

ムスビと呼ばれる思想に僕が感じたのは日本的美意識の情趣。感動できるこの作品の根底にあるのはひょっとすると「侘び、寂び、幽玄」の三態が綺麗に描かれていたと感じたからかもしれません。

ということで今日はここまで。

余談ですが明石散人さんの説に関しては記憶を頼りに書いていますので一言一句正確なわけではありませんから、ちゃんと知りたい方は本を読んでくださいね。その辺はいい加減で申し訳ないです。

映画を観た感想で思ったことをただただ書き綴っただけで、うまくまとまっていないかもしれないけど、言いたいことだけ言えたので僕は満足しています。読んだ結果ポカ〜ンとされた方には残念。
何かしら共感できるものがあった方は、どこぞにシェアしていただければ幸いでございます。

よければまた観てくださいね。それではこのあたりで。merci ♪
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