2018-03-02

「将来の手帳の終わり方」を考えることは「自分の未来への計画」を立てること。僕なりの手帳論を書いてみた。


photo credit: A Train Mirror cube abstract via photopin (license)</a >

Scriptaをご覧いただきましてありがとうございます。
キサラギ@kisaragi_Virです。

My words fly up my thoughts remain below
Words without thoughts never to heaven go.  Claudius

手帳は残すか、残るか。

先日、仙台にて開催された東北手帖部のオフ会に参加されていただきまして。
その席で上がった話が実に興味深い内容だったので、自分なりの言葉に置き換えて書きたくなりました。

・自分がこの世を去るとき、手帳はどうすべきか。
・手帳に夢を綴る行為に意味はあるのか。
・出来事をあるがままに書くことについて。

多少意訳させて頂いております。いくつもお題が出たのですが、個人的に興味を持ったのはこのあたりです。

なので今回は僕なりの解釈を延々と書くだけの内容となります。ここにあるお題から言葉をバラバラに分解して同じ鍋で煮込んでフリカッセ風に仕上げていく調理を楽しんで頂ければ。味の保証はちょっと複雑かなあ…。

後述しますが、たぶん黒歴史になるのでそのうち熟成してきたら自然消滅する記事かと思われますので悪しからず。ではでは参りましょうか。



自分がこの世を去るとき、手帳は残すべきなのですか。

自分があと何年生きるか。なんてことは全く予想ができないことだけど、人間いつかはその日がやってくるわけです。悲しいかな自然の摂理は全ての人間に訪れます。

僕にとっての手帳はライフログなので、今のところはその日が来るまでは書き続けることになるんじゃないか、となんとなく思っているのですが、書き上げた手帳のその後は一体どうなるんだろう。という事まではこれまであまり考えたことがありませんでした。

これが例えばブログであればサーバに支払いができなくなった時点で閲覧不可の状態になりますから言わば「自然消滅」していくだけなんですけど、紙に書いたログというのは事故で消失するかこちらから処分をしていかないと消えることがありません。
(厳密には消えないwebデータもありますけど、探す人がどのくらいいるやら…。)

確実に残る情報としてはこれ以上確かなものもないのですが、残ったものをどうするか、ということは決めておいたほうがいいのかもしれませんね。そしてこれは書いている内容によって取るべきスタンスが変わることなんだとも思います。

個人情報のカタマリ、という意味ではスマホに近いものがありますが、その日その時の思いや考えをダイレクトに書いてある分だけより情報が濃いのが手帳ですし、パスコードロックみたいなものをかけられませんから簡単に誰でも見ることができることもあり、セキュリティ的にも圧倒的に弱いです。

あとはどのくらい客観的に自分に向き合って手帳を書いているか、ということも一つの尺度になると思います。要は内容が所謂「黒歴史」にならないよう心がけて書くことが大事なんじゃないでしょうか。
次は書いていく内容のことを考えていきましょう。

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人生の「何」が記されていますか?

例えば、「手帳を書くことで夢に近づく」的アプローチで文章を書く人がいます。あるいは日々の感情をダイレクトにぶつける人もいるでしょう。年間プロジェクトを管理している人だっています。誰がどんな内容で記録を残すのは自由です。ただ、残す内容のリミッターを決めるのは自分自身です。

荒唐無稽な目標や負の感情が多い内容の手帳と言うのは自分自身にプラスになることがあるのでしょうか。それはただの夢物語やネガティヴノートでしかありません。僕にとっての手帳は「計画し管理する」ことにあります。だから身の丈に合った内容を書くことが大事です。

勿論、大きな目標を持つことは大事で、夢に向かって壮大な計画を立てる人は素晴らしいと思います。それで計画と実践が連動して夢が叶うのであれば理想的であると言えるでしょう。僕はここでそういった方の手帳はきちんとその「メソッドを隠す」ことが大事なのではないか、と考えています。

自分だけの秘密が価値になるとき。

能の天才と呼ばれる世阿弥は「秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず」といった言葉を残しています。簡潔に言えば能の真髄は「秘密」であることに価値があると説いているのです。秘密があればこそのミステリアス性に観客は魅了されるということです。
なので、大きな夢に向かって挑むのであればそのプロセスは自分だけに秘密にすべし。と僕は意訳します。
ですから、それを記すのであれば厳に情報を管理して計画的に達成していくべきでしょう。そして運よく目標を達成して人生最後の日を迎えることができたのならばその記録は残さない

達成までのプロセスそのもの全てをこの世から消していなくなることで「あなた」という人間の記録が世間に一つの個性として確定されるんじゃないかと思うのです。そして運よく大きな夢が叶って世間から認められるだけの存在になっていた場合、人は「あなた」をこう呼ぶんじゃないかと。つまり「成功者」や「カリスマ」と。

話がやや大きくなってしまいましたが、例えていえばこうです。「一流のシェフを目指した人間が長い修行を経て自分だけのレシピを作り上げて成功して名を成したとします。その味を決定づける、とても美味しいソースの秘密を記録したノートをどうするか。」という状況に近いような気がします。

ノートの秘密が守られている間だけはその味はそのシェフだけの「特別な味」ですけど、ノートの秘密が世に出て誰でも作れるようになってしまうと人々はシェフを特別だとは思わなくなります。レトルトにでもなって誰でもスーパーで買えるようになればそれは特別でもなんでもなく、世の中の日常の一部に変わってしまいます。

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世の中にどんな形で認められたいか。

ちなみにこの例の場合だと、秘密を守った場合は有名レストランの新進気鋭、若手シェフ、もう一方は自慢のレシピを惜しげもなくクックパッドに紹介して人気の料理研究家になる、なんていう人生の分岐点なのかもしれませんね。まあ、結論としてはどちらが悪いといった話でもないのです。

結論として「シェフ」として世に残るか「美味しいソース」の名前が世に残るかの差です。長い修行をしたこと自体は同じ経緯ですが、選択した生き方で結果が異なっているだけのことですね。

この時「特別なことができるひとりのカリスマ」でありたいか「世に広く知ってほしいパイオニア」でありたいかというふたつの考え方ができました。いや、僕が書いた以外にももっと選択肢はあるのでしょう。それぞれの立場によって「レシピノート」の扱い方は変わってくるはずです。

シェフはノートを「秘伝」として最後の日まで肌身離さず持ち運ぶ、あるいは信用できる人間にだけ託すようにするでしょうし、料理研究家は情報を公開することに迷いが少ないはずなのでノートを公開共有することを躊躇しないのではないかと。

手帳の話に戻りましょう。高く目標を掲げて実行し、そのプロセスを記録するならば秘密にするべし。と思う理由はここにあって、カリスマになるためにはその秘密の部分を簡単に因数分解できないようにしておくべきです。手帳というものはそれが簡単に解読できるようになる公式が書かれているわけですから、取り扱いが非常に大事になります。志ある方の手帳=ブラックボックスであるべきかもしれませんね。

高度な情報化社会だからこそ…。

歴史上に名を残した人間が没後、研究者によって様々な記録が掘り起こされて「実は○○だった」のようなニュースを目にすることがありますよね。不完全な記録の保持によって起こる出来事です。今やネット社会、こういった情報は光の速さで拡散されます。

その上でその情報は「人の噂は七十五日」ではなく、莫大なインターネット上の空間で消えることなく漂い続けるわけですから無くなることがないのです。

この世から去る日が見えてきたのならば本当に大事なことだけは信頼足り得る人間に託す、あるいはその記録全てをあなた自身がこの世から抹消することで生きてきたスコアを確定することになると考えています。まあ、いなくなってしまった先の事なんかは気にすることもないんですけど、個人的名誉っていうのは最後にきっちりと決めておきたいですしね。

当然、例外もあります。全ての人が計画的にこの世を旅立てるわけではありません。ある日突然に交通事故に遭う、急な病気に罹るなど理由はいくらでもあるでしょう。こういった場合のことを考えておけばより万全ではないかと思います。

成功したら最後は全て空にしておきたい。

もしも僕が「何か」の成功をして「秘密」を得たとします。社会的にも恵まれ、つつがなく長生きをして80歳を迎えました。だけどもうそれはど先は長くないでしょう。幸いまだ記憶もしっかりしているし、体もかろうじて自由に動く。もしもこういった状況が発生したならば、近年の数年分だけの記録を残して、それより古いものは都度処分していくんじゃないかと想像しています。

焚き火などすると色々言われる昨今ではありますが、できるのならば毎年きりの良いタイミングで手帳を懐かしき記憶を読み返しながら破り、一枚一枚焼いてこの世から無くしていきたいです。最後は近年の一冊だけ残して逝けたら収まりが良いんじゃないかなあ。このパターンのエンディングならそうしたいです。

多少長くなりましたが、まずはこれが手帳を残さずこの世を去るべきだと思う「目標を掲げて成功を目指す手帳」のパターンに対する僕なりのスタンスです。

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アーカイブとしてのデータは残すべき。

続いて「手帳を残す場合」の考え方なのですが、これは今まで書いてきたことの逆になります。つまり「漏れて困る情報が少ない書き方ができている手帳」ということです。未来に向けた「目標管理」「秘密の保持」ではなく現在の「日常管理」あるいは過去の「行動記録」が近いように感じます。

あとは「家族の記録」「学習計画」「体調管理」この類も残しておくべき内容ですが、それぞれ保管すべき時間が異なりますね。「家族の記録」は長期です。場合によっては次の世代に引き継ぐ内容かもしれません。「学習記録」は在学期間に限定されることがほとんどでしょう。「体調管理」はある程度大人になってから意識をされる方が増えるでしょうか。保存の開始時期、保存期間はそれぞれです。

書いていて気がついた事ですが、時間軸で考えるのも良いですね。「未来」に向けた計画は時間経過と共に「現在」になり「過去」になっていくわけですから未来を棚卸しして現在の位置を修正し、良い過去を作る努力をする。優れた現在を作る為には未来設定を正しくチューニングすることが大事ですね。って書いてみたら結構普通のことでした…。まあ、気を取り直して。

こちらは毎日の行動を円滑に進めるための「短期計画」を立てる場合や、行動してきた結果を確認しやすいように残しておく記録をするために手帳を書く人が当てはまります。簡単に言えば「To Do」「ログ」として機能している手帳ですね。

これは記録内容が「今起きている、あるいは既に完了した記録」であることが多く、客観的に書ける内容ですので普通に書いていれば黒歴史にはなりにくい手帳になるはずです。
これは「夢に向かう手帳」ではなく「現実と向き合う手帳」と個人的には考えています。

マイナス思考には情報の角度を変える。

ここで書き込むべきか否かを考えるのが「負の書き込み」です。生きていく上で得たこと、楽しかったことをピックアップして書いていくことはとても大事なことだと思います。対して恨み辛みのようなことは書くことによって何かを得ることができるのでしょうか。

勿論、「嘘の手帳」になってはいけません。事実を書くことが大事なのですが、同じ内容でも情報の切り出し方で文章の書き方というものは変わってくると思います。

マイナス要素の多い書き方:
今日のテスト、点数が悪い教科があって先生にめちゃくちゃ怒られた。帰ったらまた勉強だよ。

端的に書きますけど、悪かったことだけ書いてしまうからマイナス要素だけが残る記録です。このような記録は後から振り返ったところでまた残念な気持ちにしかならないですよね。価値の少ない情報にしかなりません。

プラス要素のある書き方:
今日のテスト、国語は点数が良かったけど数学がダメだった。三角関数をもう一度学習しよう。

先生に怒られた情報など後から振り返る必要などないと思います。良い成果があったならばそれを書いた上でダメだった点を具体的に記録しておいた方が情報としての価値が高いでしょう。

ざっくりとした例えですけど、情報を記録していく上で大事なことは物事をどの角度から捉えて文章を起こすか、といういわば「切り抜き力」を鍛えると良いのではないかと思います。これが磨かれてくれば「負の手帳」が出来上がることは少なくなるはずです。

あとに残っても良い記録を。

このような理由から客観性に基づいた、自身のアーカイブとして機能できる手帳ならば残すべきだと考えています。僕自身はどちらかというとこちら側に属していまして、正直にいうと見られてすごく困る、といったことはあまりなかったりします。(職業柄、企業秘密に関する情報を取り扱いますのでこの仕事を続けている間くらいは保持する責任がありますが。)

簡単にいうと僕の場合は「家計簿」「出納帳」に近い存在で、残していってもあまり後悔はしないような気がするんですよ。ちなみに使っている手帳は「ジブン手帳」ユーザーでもあるんですけど、この手帳が実によくできている点の一つとして「3分冊スタイル」になっていることがあるのですが、これによって年次で「将来の目標」「日々の記録」「その他雑記」の情報を書き分けて使えるのがとても便利です。必要なフォーマットだけを更新して分けて保管できる仕様になっているので手帳の数を少なく管理することができます。

余談ですが、この記事を書いているうちにぼんやりと思ったことを。

「手帳」と「日記」の違いです。

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「手帳」と「日記」について考える。

定義から言うと「手帳」は日々の予定管理、行動計画を主とし、「日記」は日々の出来事や感想を書くべし。となっています。このふたつは遠いようで近く、かといって書くフォーマットを間違えると「手帳」がただの「日記」になったり、「日記」で無理に「手帳」管理をしようとしたりするものです。

精神的に見られて困るのはおそらく「行動計画」よりも「日々の感想」の方が危険です。
職場や学校に「日記」ってあまり持っていかないですよね。

僕の場合はあくまで「手帳」がメインです。毎日の時間を管理したいのです。余白がでればちょっとした「日記」要素を入れる場合もありますが、おまけ程度ですね。

あくまで手帳は手帳として管理すべきで、日々の思いを綴りたいのであればきちんと日記を別に用意するのが一番だとは思いますが、しっかりと両立したい、というのであれば、サイズの大きい「ほぼ日手帳」のA5カズンなどを使われると良いのではないでしょうか。スケジュール管理もしっかりできますし、1日1ページしっかりと書けますから楽しい手帳が出来上がるでしょう。

でも、これはどこでもスッと開くことができない「おうち手帳」になるんじゃないかなあ。とも思います。なので「おそと」用にもう一冊欲しくなりそうな気がします。

色々と書いてきましたが、そろそろまとめていきましょう。

ここまでのまとめ。

まず、「夢を叶える未来への手帳」は夢の大小を問わず情報の内容は漏れないように扱うのが大事で、随時書き込んだ内容と現在の進捗を見比べて軌道修正をしていくべきです。成長過程で自分だけの「秘密」を得ることができればひとつの成功だと言えるでしょう。
そして将来、その秘密から成果を手にすることができた段階で「処分すべき情報」は自らの手で選んで捨てるべきだと考えます。

続いて「現実と向き合い管理するための手帳」に関しては事実に基づき客観的な視点から書いていくことが大事です。後から振り返った際に情報として有効な書き込みをしていくことによってアーカイブとしての価値が発生します。負の情報は角度を変えてそこから得られた教訓を見つける、日記と手帳の違いを考えて書き分ける、これを繰り返すことで「書くチカラ」がついていくことでしょう。
これがしっかりとできている手帳ならばそれは「残すべき情報」となりますから、きちんと保存するべきです。

そして「過去に感じた思いを書き込む」これは「日記」です。本来ならば手帳とは別枠で考える方が収まりが良いと思います。日記は手帳に収まらない雑然とした記憶の断片を記すために使うモノなので、ある意味あなたの「分身」といった存在になるのかもしれません。残すか残さないかは書かれた記憶の内容によるとは思いますが、託せる人間がいるのであれば残す、そうでなければ一定期間保持して捨てるのも覚悟の一つではないかと。

長年手帳を書いている人ならばたくさんの書き込み済みの手帳をストックされている方もいらっしゃると思います。ならばそれも「未来」「現在」「過去」どの属性で書かれたモノであるかを整理して管理するのが良いように考えます。

「2018年の未来計画」は「2019年の未来計画」に上書きされるべきなので計画の年数分だけの情報を残せば良いでしょう。
「2018年の管理計画」は年次でデータベースができているならば年度順にアーカイブしておけば情報の確認がしやすいでしょう。
「2018年の思い出」は気持ちとして残しておきたいモノです。ただし託せる先が無い場合は断捨離するのもひとつの勇気だと思います。

おまけ。デジタルツールについて。

雑記、写真などはデジタルツールを使うのも有用なのではないかと思います。google PhotoEvernoteなどのサービスを使ってスマートフォンから必要な情報にアクセスできる仕組みを作って、手帳の情報をリンクさせる先としてデジタル環境を整えることで利便性が飛躍的に上がります。

こう書くと最初から全部デジタル管理すればいいように思われるかもしれませんが、僕自身が感じることとしてアイディア出しに関してはまだまだ手書きの方がイメージしやすく良い思いつきが出やすいです。

ただ、僕がこの先長いスパンで考えた時にいつまで手帳を書いているか。というのは予想できない部分もありまして、例えば電子ペーパー技術が進化してほぼ手書きに近い感覚のデジタルデバイスが普及する未来が来るのならば、その時は紙ベースの情報管理には拘らないのではないかと考えております。

現状のところはiPad ProApple Pencilの組み合わせが一番近いところまできているとは思いますが、これはあくまで道具としての完成度が上がってきている、というだけの話です。まだデジタル環境に移行しない理由としてはソフトウェア側に安心がおけないことだと思います。

確かにスケジュール管理アプリはたくさんリリースされています。僕が見つけていないだけでとても使いやすいものが既にできているのかもしれません。それでもアプリである以上、ある日突然配信が停止したり、バージョンアップなどで使いにくくなる。そういったリスクはついて回ります。

そういった時にまた一からシステムを構築していくことが楽しく感じるのであればどんどん最新のデバイスを試してみる価値もあるのだとは思うのですが、一度決めたフォーマットを崩すのは僕は苦手で都度、微調整しながら書いているものだけに積極的にはなれずにおります。

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これからの手帳に期待を。

デジタルデータはどうしてもある日突然データが飛ぶ可能性がある、っていうリスクを運命的に抱えているものなので、どこかのメーカーが「製本」までやってくれたら状況はかなり変わると思うんですよね。

例えば「ジブン手帳」のフォーマットが使えるデジタルアプリが配信されました、としましょう。年間プランで料金を払ってクラウド上に書き込みます。一年書き込んだ結果をそのままデジタル環境で管理するも良し、オプションで書き込んだ内容を製本して届けてくれる、なんていうサービスがあったらこれは相当に楽しいことになると思います。

トラベラーズノートであれば自由度が高いので専用の用紙と製本キットなんかを作っても楽しいでしょうね。パソコンでレイアウトを自由に作って打ち込んだ記事を自宅でプリントアウトして製本する、なんていうスタイルも夢があって良いですね。会員になると好きなスタンプツールや写真加工ツールが使える。なんかのオプションがついていても良いでしょう。

いろいろと長く書いてきましたがそろそろおしまいです。これからの手帳業界が更に進化することに期待しつつも紙への愛着が抜けない自分がいることに気がついた2018年春の僕なりの「手帳論」でした。

よければまた観てくださいね。それではこのあたりで。merci

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